月山富田城を巡る:「天空城」以外のあれやこれや

2024-09-01 21:21:04 | 山陰・山陽旅行



難攻不落の天空城について、主要部分はあらかた紹介したんで(山中「解せぬ・・・」)、その他諸々について書いておきたい。





太平洋戦争の戦没者慰霊碑。これ自体は別にいいのだが、なぜ月山に??と疑問に思った。今度調べてみっか(・∀・)





途上には復元された家屋もあるんだが、山城のインパクトが強すぎて、何の印象も残らない😅





こちらは堀尾勘解由のものと想定される宝篋院塔となっておりマス(五島でも見かけたので何だか懐かしい。まああの時は岬に位置する場所にあったので、鎮魂というより航海の無事を祈る意味合いが強かったと思われるが)。


堀尾て誰やねんと思われるかもしれないが、著名な尼子氏が毛利氏の兵糧攻めによって降伏した後、この城は毛利家→吉川家(いわゆる毛利両川体制の一角)→堀尾家(江戸時代)と主が変わっている。


で、江戸時代には一国一城の制度により月山富田城はその役割を松江城に譲り廃城になったわけだが、その最後の堀尾氏の一人が眠っている、という話(どうもお家騒動と関連が深いらしい)。









山中御殿から脇道に入ると、別の登城ルートに入れるが、こちらはクモの巣ががっつり張っていて人がほとんど通ってないことが伺える。


まあ当時の舗装されてない道を歩いて登るとどのくらいハードモードになるのか?てのを体感さたい向きについては、こちらから攻め入るのがよろしかろう(・∀・)


というわけで以上。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大物Vの卒業を悪用する動きと... | トップ | あおぎり高校の新人たちが個... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

山陰・山陽旅行」カテゴリの最新記事