水俣病資料館へ

2016-06-29 12:20:40 | 九州旅行

 

「浩之、浩之!」

呼んでる声がする、だけど帰りたくない。笑われるのにも慣れた・・・

「浩之着いたよ!」

はうあ!ガン寝しとった。

「何かずっとうわ言で謝っとったよ。」

長い夢を見ていたようだ・・・とおかんに金髪のほうき頭的な発言をした俺は辺りを見回した。

 

どうも寝ぼけているようなので少し頭の中を整理する。今、私は水俣へ車で向かう途上にいる。水俣を訪れようと思ったことはこれまでも何度かあった。しかし家から片道二時間もかかることが災いし、ずっと延び延びになっていた。

 

そんな中、今年の4月に熊本で震災が起こったこともあるが、何より

 

この放送を見て、新しい視点を得たことが大きい。これまで私が教わってきたのは、要するに「悪い企業」がいて「苦しめられ闘った人たちがいた」という公害の歴史(図式)である。それは非常に分かりやすい勧善懲悪の物語だったが、前掲の放送を聞いてその悲劇と闘いの中には、企業によって潤う町、そして企業で働く大勢の人々の声、そして企業の側についた人たちの事情を恥ずかしくも初めて認識した。

 

記憶が正しければ高校時代、水俣の中学生が鹿児島の中学生と修学旅行で出会った時に「水俣病がうつる」と言われ大問題になったことがある。この現代社会でそのような認識をしているなんて、ハンセン氏病を業病とみなして階級的差別の中に押し込めた所業を今でも引きずっているようなものであまりにもレベルが低すぎると、そのような誤認を産んだ環境に対し、怒りを通り越して失笑したものだ(とはいえ、原因についての誤解という点では、今日も続く問題と言える。たとえばギャンブル依存症は精神力の問題と思われており、それゆえ自己責任にされがちだが、脳内の伝達物質による制御不可能なもの、すなわち薬物依存的なものであるなら、個人の責任として丸投げするのは見かけ上道徳的でいて実は何の益体もない主張としかならない。まあこの点は癒着関係にある政府がどこまで本気でメスを入れる気があるのかという問題も含んでいるのだが)。しかしこの度、自分も大同小異であったと反省した次第である。

 

閑話休題。先に述べたような多角的な視点は、公害とそれを巡る問題はダムの建設闘争(高山の記事を突然復活させ一気呵成に終わらせたのはこれと関連するからである)であったり、原発問題、あるいは沖縄基地問題などともリンクする。であれば、これは今のうちに資料館へ行かぬわけにはいくまいと四日間の帰省を利用し足を延ばすことにしたわけだ。かなり距離があるため電車を乗り継いでいくつもりだったが、両親も今まで行く機会がなかったので一緒に行こうという話になり家族で訪れることになった(当日はかなり雨が降っていたのでこの申し出は大変ありがたかった。ちなみに母親は以前医療関係で働いていたこともあり、ハンセン氏病や本妙寺のことなどを私に教えてくれた他、水俣病にも興味を持っていたようである)。

 

そして今、水浸しの駐車場に到着した次第。さて、それでは資料館をじっくり見て回るとしますかね。

 


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