なんやよー知らんが、アクセスランキングによると「さよならを教えて:自慰識過剰なる世界」がくり返し読まれているらしい。それに関連してちょっと書いてみたい。
「さよならを教えて」が何を描こうとしているのか、ということに関するレビューはあらかた書ききったと考えている(もちろん、そこに表れる様々なガジェットをあれこれ取り上げることもできるが、私は全く興味がない)。一言で言えばそれは「コミュニケーションの不可能性」ということになるが、あとはそれが当時のエロゲーや(大きく言えば)社会といった受容環境といかなる関係にあったかを見ていきたいと思っている。
まあ結論から言えば、当時の受容環境を意識した作者の狙いは見事に外れてしまったわけで(これは作者自身がコメントしている)。これは、この作品を単に「気持ち悪い」という声が多いことと、そうでなければ作中に表れる様々な要素に耽溺する人が多いことに如実に表れていると言える(まあうちの記事で「LOVE WILL LIGHT THE WAY」が今だによく読まれているらしいことと関係があるかもね)。私としては、そのような「流産」とその原因を、「君が望む永遠」へのナイーブな反応も絡めつつ、「さよならを教えて」レビューの最終的なまとめにしたいと考えている次第。そこでは、「沙耶の唄」とのアナロジーであるとか(この作品がただ純愛を描いていると捉えている人はギョッとするだろうが)、あるいはelfという老舗ブランドの「下級生」や「臭作」、「鬼作」といった自覚的な諸作品、さらには岡崎京子の諸作品を扱っていくことになるだろう(ただし、岡崎の作品はpinkやリバーズエッジなどで違いはあれど、コミュニケーションの不可能性は前提として、「それでも世界は回っている」という意識が前面に押し出されている。)。
ま、詳しくは名曲紹介の後、ということで。
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