「ジーザスクライスト!」
「どうしたんだい、スティーブ?」
「聞いてくれよジョン。最初ハマってたアニメであまりにもショーもない話が続くもんだから、深読みでもしねーと精神が保てなくなっちまってるんだ。」
「そいつぁお気の毒に。ならいっそ、ハマっていること自体を夢オチにしちまったらどうだい?某映画みたいに」
「マトリックス世界はすでに始まっていたってのかい!?」
「まあこの世界に生かされてること自体、カミ様の壮大な暇つぶしみてーなもんだからな(どっ、ゲラゲラゲラ)」
・・・とか訳わからん茶番を入れずにおかない程度に、ここ最近は萎え気味のムッカーでやんす。まあとりあえず21話見たんで感想文書いていきマウス(ちなみに第20話の感想と世界構造の考察はこちら)。
〇OPの変化
シルエットだったアウローラの顔が出てますね・・・って今さらやなw
〇沙都子と鷹野が重ね合わされている
「ラムダデルタ的ポジションの継承」ってわけね。
〇えっ、昭和59年までいっちゃうの???
てっきりそのまま鬼騙し編が始まるのかと思ったが違うんやな。まあ沙都子があそこまでおかしくなるには材料が足りん、てわけか。
〇何で「一人で頑張る」じゃダメなのかがさっぱりわからん。てかこの古手梨花は本物なん?疑惑
繰り返しになるけど、梨花が沙都子に同じ学校を受験してほしい理由が全くわからんちんなのです。一応、「全てが夢オチだから」(郷壊し編の始まりで「カレンダー」や「トランプ」がおかしい理由)ってのと、「実はスゴいエモい理由があって、それが沙都子を救うトリガーになる」て可能性は考えられるけど、これのせいで今のところ全く物語にコミットする気にならないんだよなあ・・・
もうここまで来ると、「絆」どころか「友だち地獄」とか形容した方がいいんじゃあないですかね。そもそも梨花が聖ルチーア学園を受けようと思った動機づけもよーわからんが(閉鎖的な雛見沢から出るための先として、閉鎖的なその場所を選ぶ必然性が理解できない。これで主体的に選んだ梨花自身が「こんなはずじゃなかった」と苦悩するのならまだ理解できる話なのだけど)、まあこれは旧ひぐらしだと全く触れようがなかった部分のため必然性を感じにくい、という説明ができなくもない。だが「友人を誘う理由」、テメーはダメだ(´-ω-`)
一応沙都子と鷹野の「重ね合わせる」描写からすると、「実は梨花とアウローラが重ね合わせられていて、このどことなく冷淡な感じのする梨花は実のところアウローラの現身」であり、「沙都子を翻弄して梨花を苦しめる偽りの昭和58年を現出させるために行動している」(で、まんまと成功して梨花は偽りの昭和58年に閉じ込められた)、なんてアクロバティックな解釈はできなくもないが、じゃあ梨花はどこで何をしてんのよって話で、現状持っている材料ではちょっと根拠が弱すぎる感じだ。
〇なるほどね~こうやって「再び裏切られた」わけか。
土台となる「なぜ梨花は沙都子を同じ学校の受験に誘ったのか」が全然飲み込めてない状況であるため、一本の線に繋がらないんだよな。何というか「雑なあるある話」を見せられてる感じというかね。
まあ一応言っておくと、この失望や悲しみがいくら大きくても、「あれだけ酷い殺し方を何度もする理由にはならんだろう」というところで、沙都子の行動には異議を唱える余地があるとしたいのかな、とは思う。
しかしまあ言うてしまうけど、旧ひぐらしの「閉鎖的な環境と子供であるという限界の中、大人たちの思惑に翻弄される登場人物たちの惨劇を描く」という痛みを伴う悲劇性(だからこそ必死に救いを願うし、推理もしていた)からすると、なんとまあスケールダウンというか、容易に回避しうるしょーもない話に堕してしまったことですなあ。
一応言っておけば、閉鎖空間における孤独は辛いものであるし、それは人を狂わせてしまうという点について異議を挟むつもりはない(まあ自分も似たような経験をしたことはあるからね)。しかしながら、小・中学生とは思えないような決死の戦いを繰り広げてきた登場人物たちがハマり込むにしてはあまりにお粗末すぎるし、旧ひぐらしで何度も訴えられていたように、それこそ「周囲の人に相談しよう」で話が終わりじゃあないんですかね(旧ひぐらしは、罪滅し編からわかるように、周囲の人に相談した程度じゃ全体の惨劇は全くもってどうにもならないからこそ、その悲劇性がなおさら際立つのだけど)?
〇EDに画像がついた!
けど、まあそんなヒントという感じでもないですな。
とまあこんな感じですわ。他に気付いたことが出てきたらまた書きますが、まあそれより先にダンジョン飯の最新刊レビューとかを優先したい気分だわ。ほなさいなら。
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