Spotifyであれこれ曲を聞いていると、自分の嗜好が可視化されておもしろい。
それは例えば「つぐない」、「リフレインが叫んでる」、「22歳」、「22才の別れ」、「雨の物語」、「さよならをするために」、「今はさよならだけを言うけど」、「Distance」、「Never let you go」など・・・自分にとって印象的で今も聞こうとするものには、それに出会ったのが小学生の頃だろうと成人してからだろうと、別離の歌が非常に多いと気づいた(ちなみにこの傾向が洋楽に全く当てはまらないのが自分としてはおもしろいのだが)。
それらで共通しているのは、相手が嫌いだから離れるとか、恨みつらみを言うといった単純なものではない。映画で言えば「ブルーバレンタイン」のような、相手への「情」は持ちながらも別れるに到った哀惜の念、他者との関係性の中での疲弊、生木を剥ぐような苦しみが歌われているのである。
最近、色々な記事で歴史にしろ人間理解にしろ多面的な理解が重要だと度々述べてきたし、またそれでこそ人間は様々な方向に開かれる(解放される)ものであると考えてもいる(まあ解放=荒野であるとするなら、それは不安神経症への一里塚ともなりうる。これがトランプ現象やブレグジットといった形で現象しているわけだ)。その中で、今回は歌の嗜好に関しても、そういう人間の多面的な心情が染みわたっていくようなものを好むのだなあと感じた次第である(なお、こういった傾向が、勧善懲悪への疑念、人間理性の脆弱性に対する意識、あるいは体系的世界理解への疑惑など、これまで書いてきたことと繋がっているのかまでは不明)。
まあ「F」とかも大好きだけどね!(・∀・)
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