悪魔的Pはメンヘラ系教祖の夢を見るか?:Needy girl overdose

2022-02-17 17:50:00 | ゲームよろず
 
 
 
前回の記事では、「麻薬系コンテンツ」について触れた。今回は、まさにそれを取り上げた作品として、「NEEDY GIRL OVERDOSE」を紹介したい。
 
 
スマホだとセリフのウィンドウがちっさくてセリフやコメントが読めないのが難だが、でびちゃんがあれこれ突っ込んだり、何だったら舌打ちまで(笑)してくれるので、ある程度雰囲気は掴めるように思う(なお、末尾にある犬山たまき・白雪みしろコンビの配信では、みしろ氏がすばらしい声でセリフを読み上げてくれマス😀)。
 
 
さて、自分はまだプレイ動画を2本見たぐらいなので全体像までは語れないが、それでも興味深いと感じた点は二つある。
 
 
まずはドット絵。こないだ紹介したpapers ,pleaseとも連なるレトロな雰囲気を醸し出しているが、色合いはpapers~が共産主義国的なディストピアを暗い色合いで表現していたのに対し、こちらは明るい(場合によっては明るすぎる)色合いが特徴だ。それは常に承認されることを欲し、キラキラした自分(の演出)を追い求める主人公たちの様をよく表現しているように思える。
 
 

そしてそのレトロな雰囲気とマッチングする、「キター!」や「漏れ」、「~汁」など、古のスラングの数々。それらは懐古的な面白さ(「ズレ」が笑いを生む)もあるが、もしかすると、作中世界とさりげなく一定の距離を保つ意図があるのかもしれない。このあたりは、キモいリプライやクソリプとかがリアルに作られてるので、リアリズムを追及するとガチ病みを発症させかねない、という配慮があるのかもね(・∀・)

 


ちなみに自分がこの作品の雰囲気から連想したのは、古くは南条あやの「卒業式まで死にません」、新しいのではポプテピピックだ(前者は後述する要素も関連するが、一応言っておくと南条あや=作中ヒロインと似たキャラクターという意味ではないので悪しからず。また後者は、アーカイブ化された記憶装置がごった煮でフラットなものとしてシニカルでスラプスティックに表現される点が類似性を感じさせた)。

 
 
もう一つは、題名のneedyとoverdose(余談だが海外版は題名が違う)に象徴されるように、これが承認欲求とその暴走に関する話であるという点。現実が受け入れられなければ、変身もするし、クスリもキメる・・・というとクレイジーに聞こえるかもしれないが、承認欲求を満たすため話題作りに汲々とし、加工された風景なり自分なりをオープンにして「いいね!」とフォロワーを稼ぐ姿勢を鑑みれば、ヒロインと現代的な自己顕示欲の間に大した懸隔はないのではないか?
 
 
そう考えると、この作品においては、配信・SNSでの自己演出と、クスリによる自己コントロール(overdose)は等価である、という描かれ方をしているのだ、という見地に立つのもおもしろそうだ。
 
 
このあたりは、「江戸時代」やらに回帰しようとしても、半ば強制的に世界と繋がってしまう現在、ブータンの例の如く他者(コミュニティの外側)との比較を免れられないし、階層移動の可能性が担保されているなら結局嫉妬をやめられないし、自己充足は難しいっすよ、という話にもリンクさせられるだろう(まあだからこそ、デジタル・デトックスのススメ、みたいな話も出てくるわけだが)。
 
 
もう一つ蛇足ながら語っておけば、このゲームって小さいウィンドウでしかキャラクターが描かれない(意図的に描いてない?)からか、閉塞感・圧迫感を強く印象づけられる。これがもし「社会・他者と繋がっているけど繋がっていない」といったことや、あるいは「ここではないどこかに行きたいが、どこにも行くことができない」という含意ならば、なかなかによく現代の状況を反映しているなあと妄想した次第。
 
 
まあとりあえず。
早くPC直して、このゲームをやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞ(本編リスペクト)・・・(゜∀。)
 
 
 

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