極限状況への無理解:人肉を食べるか否か

2007-09-17 11:01:56 | 感想など
※食事中の人は読まない方がいいかも


以前自殺しないという発言は現在の願望を述べたに過ぎないと書いたが、こういう見方によって、ある過去の経験の謎が解明できた。

時は中学2年の掃除の時間。俺、友人×2(3人だったかもしれない)、教師(三年目)というメンツで、「極限状況で人を食べるか?」という話が持ち上がった。その中で、「食うんじゃん?」と言ったのは俺だけだった。他は教師も合わせてうそーんという感じで引いている。こっちとしては、「そこまでして生きたいか?」という反論を予想して「では正当防衛はどうなんだ?」というカードも用意していたが、相手はただ引いているだけで、肩透かしをくらった気分だった。

どうしてこのような予想もしない齟齬が生じたのだろうか?それは彼らの「食べない」という意見が「今食べようとは思わない」という現在の願望を述べたに過ぎず、俺の「その状況でどうするか」という思考実験とそもそもズレているからである(普段の状況だったら人肉なんか食わねーよw)。そして彼らは、その事実を自覚していない。俺にとって少々驚きだとすれば、もう20代半ばの教師にしてからが中学生とほとんど同じ反応を示したことである。つまり、それくらいに人間は自分の願望と将来の可能性の区別ができていないと言えるだろう。


こんなにも状況の類推ができない人間達が、どうして共感や「感情移入」などできようか?できるはずがないのである。
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