ひぐらしとは対照的に、うみねこはほとんど第三者視点が貫かれているが、この形式は二つの点で興味を引かれる(※)。今回は、その一つ、推理の側面について述べてみたい。
※
ひぐらしの視点に関しては、「ひぐらしのイベントCGがない意味・効果」などを参照(ネタバレ注意)。また、ep2の最後でバトラたちが食われるシーンは(食われんとする)バトラ視点であるように見える。
数々のオカルトが出てきたep2を終えて思うのだが、この第三者視点は一体「誰」のものなのか?そしてどこまで信用できるのだろうか?「第三者視点=全て幻想」という結論などはほとんど夢オチと同じであり、(何をかはともかくとして)仮にも推理を求められている作品であることを考えると、さすがにそれはありえないだろう。とはいえ、うみねこで見えているものは自分の存在を認めさせずにはおかない魔女をプレイヤーが認めるまで強制される悪夢であり、ep2で魔女の姿が最初から描かれているのは認めさせるための演出で、さらに魔女の存在を受け入れそうになっているプレイヤーが増えてきたことを視点に影響させている、といった可能性は捨てきれない。
しかし、そういった全体について論じる前に、そもそもep1とep2の視点は同じなのだろうか、という疑問の方が先だ。最初は何の断りもなく始まったep2だが、途中で「魔女を認めるか否か」というバトラと魔女のやり取りが挿入された後、事件現場(六軒島)の話に到っている。わざわざそのような演出がなされていること自体、途中で視点が入れ替わっていることを連想させる。またep2は二人のチェスというメタフィクションを伴っているが、ともに作中の惨劇を見ながら話していることから、二人のやり取り以外のシーンは(メタフィクション上の)バトラ視点である可能性が高い。だとすると、ep1では「鉈」で黄金の蝶に立ち向かった(※2)カノンがep2では魔法の剣(?)を使っている奇妙さも説明がつく。
※2
これは曖昧な記憶なので気になった人は自分で確認してほしい。なお、その時カノンは一人なので能力を隠したりする必要はない。
要するに、ep2の視点は、途中から魔女を認めさせる目的でバトラが見せられている悪夢(?)に変わっているのではないか?(魔女を認めなかったローザの拷問を考えると、ベアトリーチェが自分を認めさせることに相当こだわっているのは確かなようだ)。要するに、ep2の内容は「魔女を認めさせる」という目的の元に成り立っているのであり、そこで起きたことを鵜呑みにはできない。
ただし、これはオカルトの完全否定を意味しない(よほど根拠が無ければ二元論は不毛である)。またep2の内容を信用できないからといって軽視するのではなく、明確な目的を想定すればこそ見えてくるものがあることを念頭に置き、認めさせようとする魔女の「やり過ぎ」(※3)に注意を払ってその穴を見つけ出すことが重要である。以上の二点に気をつけつつ、違和感の萌芽を集め、その内容を検証していく必要があるだろう。
※3
例えば、最初の殺人で密室にする必要があるようには思えないし、ep2では残虐な殺し方をする必要もないと感じられた(顔を潰すのはカモフラージュになり得るが…)。にもかかわらずそれをするのはなぜか?碑文には書いてないだけに謎である。
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ひぐらしの視点に関しては、「ひぐらしのイベントCGがない意味・効果」などを参照(ネタバレ注意)。また、ep2の最後でバトラたちが食われるシーンは(食われんとする)バトラ視点であるように見える。
数々のオカルトが出てきたep2を終えて思うのだが、この第三者視点は一体「誰」のものなのか?そしてどこまで信用できるのだろうか?「第三者視点=全て幻想」という結論などはほとんど夢オチと同じであり、(何をかはともかくとして)仮にも推理を求められている作品であることを考えると、さすがにそれはありえないだろう。とはいえ、うみねこで見えているものは自分の存在を認めさせずにはおかない魔女をプレイヤーが認めるまで強制される悪夢であり、ep2で魔女の姿が最初から描かれているのは認めさせるための演出で、さらに魔女の存在を受け入れそうになっているプレイヤーが増えてきたことを視点に影響させている、といった可能性は捨てきれない。
しかし、そういった全体について論じる前に、そもそもep1とep2の視点は同じなのだろうか、という疑問の方が先だ。最初は何の断りもなく始まったep2だが、途中で「魔女を認めるか否か」というバトラと魔女のやり取りが挿入された後、事件現場(六軒島)の話に到っている。わざわざそのような演出がなされていること自体、途中で視点が入れ替わっていることを連想させる。またep2は二人のチェスというメタフィクションを伴っているが、ともに作中の惨劇を見ながら話していることから、二人のやり取り以外のシーンは(メタフィクション上の)バトラ視点である可能性が高い。だとすると、ep1では「鉈」で黄金の蝶に立ち向かった(※2)カノンがep2では魔法の剣(?)を使っている奇妙さも説明がつく。
※2
これは曖昧な記憶なので気になった人は自分で確認してほしい。なお、その時カノンは一人なので能力を隠したりする必要はない。
要するに、ep2の視点は、途中から魔女を認めさせる目的でバトラが見せられている悪夢(?)に変わっているのではないか?(魔女を認めなかったローザの拷問を考えると、ベアトリーチェが自分を認めさせることに相当こだわっているのは確かなようだ)。要するに、ep2の内容は「魔女を認めさせる」という目的の元に成り立っているのであり、そこで起きたことを鵜呑みにはできない。
ただし、これはオカルトの完全否定を意味しない(よほど根拠が無ければ二元論は不毛である)。またep2の内容を信用できないからといって軽視するのではなく、明確な目的を想定すればこそ見えてくるものがあることを念頭に置き、認めさせようとする魔女の「やり過ぎ」(※3)に注意を払ってその穴を見つけ出すことが重要である。以上の二点に気をつけつつ、違和感の萌芽を集め、その内容を検証していく必要があるだろう。
※3
例えば、最初の殺人で密室にする必要があるようには思えないし、ep2では残虐な殺し方をする必要もないと感じられた(顔を潰すのはカモフラージュになり得るが…)。にもかかわらずそれをするのはなぜか?碑文には書いてないだけに謎である。
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