ダウー先生に見る有能さと冷厳さの話

2018-12-08 17:23:04 | 日記

こないだはナポレオン麾下のダウ―をネタに使ってみた。これに関して言うと、ダウ―ほど私にとってその行動原理がよく理解できる人物はいないように思える。

 

なかなかまとまった記述がないのでwikipediaの説明(参考文献が示されてないが・・・)をまずは見てもらうのがいいだろう。

 

さて、ダウ―の栄光に彩られた戦績は言うまでもないこととして、たとえば下級貴族として軍人になったにもかかわらず、共和主義に賛同してそちらに協力したり、また裏切りを図る上官を砲撃したり・・・といった逸話が残っている。

 

これらと彼の(有能過ぎるほどの)有能さを併せて考えると、彼は無能な者が人の上に立つ・支配するといった非合理的なシステムや現象が心の底から許せなかったのだと予測される(ちなみにダウ―は34歳の若さで元帥の位まで上り詰めており、ナポレオン麾下でも最年少だった)。これを念頭に置くと、彼が忠誠を誓ったのがナポレオン=ボナパルトというカリスマであったり、軍事的に有能なだけでなく清廉なエジプト支配で「正義のスルタン」とも呼ばれたドゼーだったというのは、全くのところ頷ける話である(ダウ―が親しかったサン=シールも似たような特徴を持っており、清廉で有能だが無表情かつ冷淡で何を考えているのかわからず、上司などと衝突して「スパルタ人」などとあだ名されていたらしい)。

 

ちなみにそのようなダウ―の厳しさは、上官やシステムに対してのみ向けられたものではなかった。たとえばwikipediaの文章から引用すると以下の通りである。

「言動は粗野で非常に冷淡、特に士官以上に対しては異常なまでに厳しく、部下の多くからは嫌われた。規律にやかましく公私混同を忌み嫌う厳格な人物でもあり、俗物が多い同僚達からは煙たがられる事が多かった」。

先ほど、「ダウ―は無能な者が人の上に立つことを許しがたいと考えていた」という趣旨のことを書いたが、それは一般的な傾向であった。一言で言い表すなら「バカが死ぬほど嫌い」で、特に士官=人の上に立っている連中への態度は辛辣なものであった、とそういうことである。

 

ここまでの記述だと、単に「極めて有能であるがゆえに他者に厳しい人間」として理解されるかもしれない。それは確かに正しいのだが、ある意味で度を超えたような事例がある。それがハンブルク防衛戦で、ロシア遠征の失敗により弱体化したフランスに周辺各国が攻勢をかける中、ダウ―はハンブルクの防衛を任され、籠城することとなった。その時に疫病の流行もあって万単位の住民を寒空の中に追放し、うち千人単位が病死したとされている。こうして鉄の守りを敷いたハンブルクは、本隊がライプチヒの戦いに敗れ、本国のパリが陥落する中、孤立した中で一年以上も耐え抜き、ハンブルクが開城・降伏したのはナポレオン退位の一か月後だった(つまり敵軍はハンブルクを陥落させることができなかった)。なお、この時のハンブルクでの行いによってダウ―は「ハンブルクのロベスピエール」と呼ばれ、ある者は畏怖し、ある者は忌み嫌ったという。

 

ここでは、たとえ非人道的であろうと、最も「合理的」な選択を徹底した結果が「不敗のダウ―」を作りあげた、と強調しておきたい。言ってみれば、ナポレオンと、そして彼のフランス帝国の勝利に忠誠を誓い、それを成し遂げることを至上命題として行動した、ということである。

 

では、なぜダウ―の行動原理が自分には納得できるだろうと考えてみるに、まず自分の中に「バカは死ぬのが正しい」という思考の軸が存在することが大きいだろう(「嘲笑の淵源」で言えば、極限状況では行動原理が変化し人肉を食うことは十分あり得る、という「抽象的な問題への無理解に関する苛立ち」がこれである)。とはいえ、その顕れ方はダウ―と大きく異なっている。言うまでもないことだが、ダウ―という歴史に名を残す傑物と比べ、私は極めて凡庸な人間である。ゆえに、先ほど述べた自分の考え(の一端)を社会的レベルで適応しようとすると、まず愚鈍な自分が死なねばならない(その規範が真に正しいと思うなら、その規範にまず自らが殉じて然るべきだろう)。結果として、自らが生きることを選ぶならば、その規範を他者に適応することはできない。だから私の態度の表れは、自由放任的な、包摂的なものとなる・・・とまあそういうことである(私が大抵の自己責任論を愚かだと考えるのは、この要素が大きい。そもそも己がどれほど合理的な選択をしてきたのか、できるのか、胸に手を当てて考えてみたことがあるのだろうか?またよしんばそうだとして、それを社会に適応することが合理的だという根拠は何なのだろうか?こういった点が非常に疑問であり、単に脊髄反射的な突っ込みを入れているだけのように見えるのである。ちなみに私は、時代が時代なら自分が異端審問官として熱心に多くの人を処刑していたかもしれないと考えるが、それは今述べたような自分の思考様式による)。

 

今述べたことから改めてダウ―の行動原理を説明するなら、彼は度々罷免されながらもなお必要とされるほどの圧倒的有能さを持っていたがために、その態度は先に述べたような冷酷・厳格なものとなる、というわけである(まあ卑近な話をすれば、今日で言うとダウ―は超有能なパワハラ上司ってところだろうかw)。ともあれ、ダウ―という人物は、単にその優れた戦績が目を引くだけでなく、極めて有能な人間の思考様式の典型を理解する格好の材料としても、興味深い存在なのであると指摘しつつ、この稿を終えたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 近親相姦と遺伝子操作 | トップ | てかHuluかNetflixにすればい... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事