「狂気」への傾倒と現実

2006-01-19 23:41:05 | 不毛
前に書いたように、特に中学三年頃から狂気への傾倒が始まった。その要因は様々であったと思われるが、とりあえず結果だけ述べるならば「虜」というD.O.のゲームにそれを求めたのであった(そこに至るきっかけは同社の「妖獣戦記」)。

で、高○二年の時「虜2」を買ってプレイするまでになった(その間も紆余曲折あったがめんどくさいので省略)。ところが、だ。30分ほどやってみてわかったが、全く楽しめない(;´д`)なんと言うかものすごい淡々とクリックしている自分を認識できるくらい冷めている…まあ今思えば当たり前のことで、狂気云々はともかく、調教とかそういうのに興味があったわけではなかったのだ。認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものは…というより単なるバカですスイマセン(ToT)

幸か不幸か、それによって狂気がどうでもよくなり始めて求心性を失ったあたりで、夏目漱石の「こころ」だとかNatural、oneといった思い出深い作品群に出会うことになる(一緒にすんなボケとお叱りを受けそうだが…)。そしてそれらの影響が顕在化する前に、今度は受験へと駆り立てられていくのだが、それはそれでまた別のお話…


※何らかの主張を意図した記事ではなく、あくまで記録である(とはいえもちろんバイアスつきw)。ただ、自分を構成する断片を形として残しておくのも面白いかと思うのだ。Forestをやってると、どうも「かけら」(断片)への愛着と「記録」という行為への情熱が生まれてくるんだよなあ、などどやったことない人にはよくわからないことを言いながらこの記事を終えることにする。
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