(登場人物)
團琢磨=D、馬場園義馬=B
D
さーて、今回の茶番は・・・
B
サ○エさんみてーに言ってんじゃねーよwつか茶番は今の世の中だけで沢山や。もう年度も終わりなんだし、とっとと本題に入ってくれい・・・
D
慌てる何とかはもらいが少ないとか言うぜい?
B
はいはい。前回の記事で日本人の大半が無宗教だと自認する状況がどうやって生まれたのかを考える下準備を終えたわけだよな。で、こんな風に予告として書いた。
1.神仏習合とそれが帰属意識に与えた影響
2.江戸時代の仏教教団自動登録システム=宗門人別改帳・檀家制度
3.明治時代の神道無宗教化
4.2と3により宗教的帰属意識が剥落し始めたところへ、戦後に伝統共同体からの大規模離脱が生じた
D
然り。まあこれで今回の副題にもある「重層的変化」ってのはある程度説明したわけだな。つまり、様々な要因がいくつも折り重なって、今日的状況がある、と。
B
じゃあその流れを確認してみようじゃあないか。
D
うむ。ゼロベースから始めると、とんでもなく長くなる可能性があるんで、ある意味今日ありがちな言説と対照的な部分から書いていきますわ。
①鎌倉時代~戦国時代における宗教の広がり
いわゆる鎌倉仏教は、仏教が民間に広く根を張ったという意味でも注目されるわけだが、それはどんどん力を強めていき、例えば戦国時代には一向宗が戦国大名としのぎを削るまでになった、てことだな。
B
もちろん、こういったものは突如生まれるわけではなく、最澄という宗教的天才が平安時代に活躍し、仏教の教えを(その功罪はさておき)簡易化し、民衆に広まりやすい状況を作った、という素地を見逃すわけにはいかない。鎌倉時代に法然や親鸞、栄西といった人々が比叡山で学び、天台宗の教えの教えに飽き足らず、自分なりに仏教の理解や実践方法を深めていった結果、鎌倉仏教というものが生まれ、広がっていったのだった。
D
まあそもそも貧しくて働き続けねばならない市井の人々にとって、厳しい戒律を守るのは難しいからね。しかし念仏を唱えれば救われるなら、農民にだって農作業をしながら実践できる、というわけだ。まあ武士には修身とでもいうべき禅宗の方が広がっていくわけだがね。
B
うむ。こういった鎌倉仏教の広がりはもちろん、先にも出てきた室町時代・戦国時代の一向宗の広がりやその在り方、そしてキリスト教の広がりを見る限り、例えば「日本人は元々信仰心が薄い」だとか「特定宗派に帰属意識を持たない」などという見方は眉唾ものと言わざるをえない。それは現在の帰属意識の低さと、諸々の宗教儀式がただの慣習化した状況を無批判に投影した錯誤としか思えないね。
D
まああるあるだけどな。歴史を語ってるつもりでただの「思い出騙り」に過ぎないなんてのは自称「保守」連中にもしばしば見られる宿痾みてーなもんだ。ただし、今の話には留意すべき点もある。
B
どういう点だい?
D
端的に言えば、「その時代の日本人たちは信仰心が篤かった」というような評価をするのは単純すぎってことだ。室町時代や戦国時代というのは要するに強力な政治勢力が後退していき(すくなくとも分権化が進み)、それと入れ替わるように宗教勢力が力を伸ばしてきたってことなんだ。だから、そちらの方にコミットする人が増えたしそれが目立つ、と考えた方が散文的ではあるが妥当だろうね。組織論というか宗教社会学というか。
B
それは例えば中世ヨーロッパの分権的世俗権力とカトリック教会を連想するとわかりやすいよな。あの頃はカノッサ事件やヴォルムス協約などが典型だが、要するに弱体な王権に対して教皇・教会は国・王朝を超えた影響力を持っていた。然るに教会の力は十字軍の失敗やシスマなどを通じて相対的に弱まっていき、一方で諸侯の弱体化とパラレルの王権の強化という現象が見られた。その結果が、主権国家体制の成立とウェストファリア体制なわけだ。
D
つまり、宗教勢力が国家のトップを超えるものではなく、政権が信仰のあり方を規定する状況に変化していったってことだな。
B
そういうことだ。もちろんこれには、ルターの宗教改革によるキリスト教の分裂といった事情も関係しているがね。ともあれ、日本の平安時代以前から鎌倉~室町~戦国時代という変化を見る時に、この西欧との比較という視点で見るとわかりやすいのではないかな。
で、今述べたことからすると、強力な統一的政権が打ち立てられれば、再び宗教は国家の強いコントロール化に置かれることになる。それが・・・
D
秀吉や家康の統一政権ってわけか。言い換えると、
②江戸時代の始まりと檀家制度のシステム
だな。要するに、仏教の政治システムへの組み込み=役所化ってところか。これでキリスト教を排除しつつ、すでに広まった仏教は政権に取り込む(国教化する)ことでむしろ換骨奪胎してしまおうっていう一挙両得の作戦だな。
D
そうそう。まあ信長の部下・同盟者として本願寺との戦いを生々しく知っている秀吉や家康がこういった方向に行くのは自然な流れだわな。今回は突っ込みどころも含めて読者に色々考えてもらうために素描しかしないけど、これにより仏教徒への自動登録(in宗門人別改帳)と相成ったわけで(ちなみにそれをやらないと無宿人ということで、住所不定の人となってしまう。これは現代で住所不定ならどういう不安定な生活しかできないかを考えても登録の強制性は理解されるだろう)、まあこれで仏教の形骸化が進むわけだ。その長さはなんと250年!
B
何世代分かよって話だよな。生まれたら勝手に仏教徒に自動登録で、それにまつわる儀式も自動でついてきて金も徴収されるって状況が、まあ「日常化」・「空気化」してたわけだよな。西欧で言えば、十分の一税のみならず、死亡税(葬式仏教!)とかも仏教教団が徴収してましたよってな話か。こういうところは現代日本の「宗教的儀式が帰属意識と結びつかない」という現象ともつながるように感じられるね。
D
もちろん、隠れキリシタンや不受不施派らが弾圧の中で信仰を守り続けたことは有名だし、いわゆる真宗篤信地帯なんてのもあって地域性があるってことには留意する必要はあるけど(まあ現代アメリカでもバイブルベルトとかあるし別に不思議なこっちゃない)、それでも仏教が自動登録システムになったことと、あと当時の様々な訴えを見ればわかる通り、このシステムを傘にきて仏教教団側もかなり高圧的な態度で時にはあくどい金の取り方をしていたこと、加えて「宗門檀那請合之掟」という法律の捏造に見られるように、江戸幕府と「共同正犯」的立場にあったことは言及しておくべきだろうね。
B
まあキリスト教宣教師の件で、よく奴隷として日本人を売っていたとか技術とパッケージングして自分を売り込み植民地化を推進とか負の側面が言われるけど、仏教についても「政権に虐げられて嫌々従っていた被害者なんですぅ~」って物言いは通用しないってことだわな。
D
うむ。でまあこうして250年もの時間をかけ、太平の世の中で仏教はゆるやかにシステムの要素を強め、その儀式もただの慣習に近づいていったということだな。強烈なカウンターとしての姿勢や思想がない限り、(学者とかはともかく)一般人はその中に取り込まれてみな一生を過ごすわけだが、生まれた役所に、あるいは死亡届を出す役所に今日の我々がロイヤリティーを感じないように、仏教教団もそのような性質・見られ方を強めていった。つまりこの段階で、仏教に対する帰属意識の希薄化はすでに用意されていたと言えるだろう。
B
なるほど、だから江戸時代が終わってシステムが変わると、仏教教団はむしろ攻撃を受けるわけだな。そして仏教のポジションに神道が取って代わると。つまりは
③明治時代の神仏分離と仏教の梯子外し、および神道の無宗教化
だな。
D
そういうことだ。今までの流れからすれば、仏教というのが旧システムの一部として人を抑圧する機能を持っていたことは理解されるだろうし、だから反発も受けて政府の思惑を超えた廃仏毀釈運動が行われたわけだ。一見すると「勝ち馬に乗る」という長いものに巻かれる的な行動原理として感じられるけど、江戸時代の様々な仏教教団と民衆の軋轢を見ていれば、そういう現象が起こることにさほど不思議は感じないね。
B
ただ、まあ何回もこういう話は出てるけど、安易に一般化するのもまた避けねばならないよね。というのも、廃仏毀釈の激しさは相当に地域性があり、鹿児島や隠岐のように徹底して破壊が行われ、地域の有力者だった人々の墓すらまともに残っていないケースもあれば、破壊はあったが地域住民によって復興されたケース、またそもそも大きな動きがなかった地域もある。
D
もちろんそうだ。しかし、ここでさらに重要なのは、すでに形式化していたところに、神仏分離という形で政府による民衆の信仰への攪拌が行われたこと、そして僧侶は肉食でも妻帯でも勝手にしてろという形で「解放」とはしご外しが行われたことは重要だろう。つまり、強い帰属意識でコミットするというより、多分にシステム化した側面のあった仏教とそれへの民衆の帰属意識は、こうしてますます形骸化・希薄化への道を開かれたわけだ。
B
まあそういう言い方すると単なる形而上というか意識だけの問題に聞こえるけど、実際システム上の変更も大きいよな。例えば寺や神社の統廃合が一つ。地域の信仰に大きなメスが入れられたわけだ。
D
中央集権的な政府には、そして近代国家を目指す政府にはノイズだっただろうからね。
B
そう。そして他にも、寺が共同体で果たす機能が後退した、もしくは交代させられたという点だな。なるほど確かに仏教教団は役所化したものの、当時のムラ社会でコミュニティの核として機能していたことも事実なんだ。しかし、それが明治時代では学校に取って代わられる。つまり学校という存在がコミュニティの中心になっていくんだ(まあある意味、今で言うPTA活動がどうしてあんなに前景化してくんのかってのとも関係するんだろうけど)。
D
要するに、仏教は宗教的中心としても梯子を外され、政治的機能についても大幅に制限されたってことだな。
B
まあそうして江戸時代以来形式化の進んだ仏教がますます形式化し、仏教への帰属意識が薄まったことは想像に難くない。というか、1952年の調査で仏教を個人で信仰している人が50%強、一方で家の宗教は仏教だと答えた人は90%近くって状況は非常によくこの構図を表象してると言えるように思うね。このアンケートがある程度日本人全体の宗教的帰属意識を反映しているとするなら、おおよそ40%近くが、それを「システム」として認知・受容してたことの証左だろうよ。
D
だわな。それで、仏教は後景に退いたわけだけれども、少なくとも神道はそのオルタナティブになる可能性を井上毅や伊藤博文らの思惑で絶たれたと。
B
神道=宗教だと強制すんのが近代国家としての体をなしてないって非難されっからね。ただ、仏教徒やキリスト教徒にも神道を実質強制したい。すると、それを非宗教とするのが得策ってわけだな。まあこういうやり口はヒンドゥーナショナリズムにも見られるんで、その功罪はさておき、政治的な策略としてはまあ理解できるところではあるな。
D
そして、いわゆる「国家神道」というものに基づいて、大本などは弾圧されていくわけだ。こうして、仏教の求心力は低下し、神道は宗教的帰属意識(の可能性)を剥奪され、新宗教は弾圧されると(ちなみにキリスト教は、江戸時代の邪教観の名残が特に農村で強く、都市圏で一部に広がっただけにとどまった)。そしてこういう状況が70年続くわけだな。
B
で、戦後を迎えると。
D
うい。じゃあさっき書いた1952年の調査も含めて、次の記事で戦後の変遷について書いてみましょうかね。
B
え?このまま勢いでいくんじゃないの??
D
いや、明日早朝から仕事なんで、このままいくと死ぬ、死ねば、死ぬ時。
B
財閥のトップ、そんな人に私はなりたひ・・・
D
いやお前それをぶっ倒すって立場の人間やん。
B
あ゛っ!!・・・
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