フラグメント224:カメ止め、チョムスキー、死刑制度の是非

2020-03-31 11:00:00 | フラグメント
覚書の日付を見ると、「カメ止め」を見たのはもう1年半も前のことなのね(苦笑)と不思議な感じがする。まあ最近は「パラサイト」や「1917」など興味のあるもの含めて映画を見に行けてないから、そういう心持ちがするのかもしれない。
 
突如中盤で「尊厳の破壊」という表現が出てきて通り魔的犯行の話が登場しているが、要するにこれは承認の枯渇・尊厳の破壊が「無敵の人」を生み出す土壌の一つであることと関係している。なお、それにコミットしてローンウルフのテロールを防止するのが嫌だと言うのであれば、セキュリティ面でコストを支払う必要が出てくる、というだけのことだ。
 
 
〈松岡ちな温泉旅行〉 2018/9/19
カメ止め。イーストウッドじゃない。「ハリウッドなんて無理」はただの言い訳となった。手法の工夫をせよ。チョムスキーへのインタビュー、ロールズとサンデルの論争を思い出した。私は人間理性への信頼が薄い。というかローティのリベラルアイロニズム的発想をする。ジョナサンハイト。~は西欧ブルジョアジーのローカリティにすぎない。ますますコミュニタリアン的発送へ。
 
宮台の発言の方に説得力を感じる。普遍的要素がゼロとは言わないし、普遍の志向は重要。でも、周囲の人間がそういう構えを身につける動機付けを持てるようにするには、「素晴らしいんだからみんなそれを求めるはずだし、またそうすべきだ」で終わるのはナイーブすぎる。縁なき衆生は度し難し。近代の人間理性幻想。「勝手に生きて勝手に死ね」。
 
ミンクの叫び、
 
飢えと渇き。尊厳の破壊の結果、あるいは承認の枯渇。
 
死刑の効果。通り魔的犯行の動機が「表層的」とよく思っていた。自分の高校時代の例から精神構造を分析する。「誰でもよかった」??違うな。むしろ「特定の誰かじゃダメ」なんだ。個々人に原因を帰するのは間違い。なぜなら、彼らがオレに合わせる必要もない。オレがそうであるように、だ。然るに、ルサンチマンは消えない。論理性の欠如。ゆえに、自分自身への軽蔑と憎悪も膨らんでいく。そして収まらない怒りの矛先は?「システム」に向かう。だから、「教室ごと、そして自分ごとぶっ飛ばす」という発想になる。完全に「論理的」だろ?「学校辞める」、「自分だけ死ぬ」、てのは「納得いかない」ってわけだ。
 
まあ意図的に誇大妄想的状況を設定することで実行のハードルを上げ、具体的な凶行に到るのを防ぐ、という計算をする程度には「理性的」だったがね。ともあれ、オレが言いたいのは、こうした心持ちの人間に死刑をちらつかせて意味あんのか?て話よ。むしろこう言うだろうね。「ええ、ぜひそうしてください」と。死刑の効果。殺人=その場の勢いか、絶対ばれないように計画して犯行を行う。だから効果がないという理論。
 
そもそも死刑になるのは怖いからもう一人殺るorやらないって選択するもんなのかね?そこはケーススタディや統計学として知りたい。となると、残る死刑の効果は社会的秩序意思の貫徹と被害者の感情的回復。
 
前者は要するに「ムカつくから殺したい」ってこと。まあ理解はできる。川口コンクリート事件の犯人はオレ自身も殺したい衝動に駆られるし(厳密に表現すれば、無実の人が凄惨な最期を迎え、その凶行を行った者たちがこの世に存在し続ける理不尽が許しがたいと感じる、というのが正しい)。
 
後者には疑義。なぜって、欧米がやっているような取り組みに無頓着だから。別にこの世から抹消することだけが、被害者の感情的回復の唯一無二の方法とは限らない。そこを模索することなく「死刑存置=被害者の権利」とか言われても、それは反論しづらいロジック構築のために、被害者を利用してるだけとしか感じられないね。
 
後は「凶悪犯罪者を社会的に更正させることに期待するのは金のムダだから、終身刑より死刑にしてコストを減らしてくれ」とか。てか死刑を肯定するにしてもヌルいよね。人体実験して医療技術の発達に貢献してもらったらいい。そしたらせめて「コスト」の一部でも回収できるだろうよ。
 
死刑囚を安楽死させて臓器活用は?ありだけど、提供を受ける側がどうするかだね。「ケガレ」感覚で拒否られるかもしれん。秘密にするとか?そしたら臓器移植を受ける人たち全般が、あらぬ疑惑と差別の眼差しを向けられるかもね。得策とは言い難い。

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