戦略性とユニバーサリズム

2017-10-01 17:15:19 | 日記

さて、北朝鮮と年内に戦争をするとかしないとかいう話になっているわけだが・・・

 

北朝鮮への経済制裁を非難する人は、日本に対して行われた経済制裁は非難するのだろうか?

逆に北朝鮮への経済制裁を評価する人は、日本に対して行われた経済制裁も評価するのだろうか?

 

なんてことを最近思ったりする。というのは、両方とも相手を屈服させるための政策であるのはもちろんだが、半ば相手を暴走させて先手を打たせることも効果の中に加味されていると思うからだ(まあそうすると主に韓国が大変なことになる可能性が高いので、短期決戦が模索されているのも事実だが)。

 

ちなみにこのアナロジーを聞いて一緒にすんなと思った方もいるだろう。もちろん「平和憲法」があるのをいいことにどんどん他国へミサイルをぶっこんでくる国がかなりキてるのはその通りだが、我が国は米英などと交渉中にインドシナ進駐をかまし、フィリピンを植民地としていたアメリカ、ビルマ・インド・マレー半島を植民地としていたイギリス、インドシナを植民地としていたオランダをイイ感じに激昂&身構えさせたという輝かしい実績がある(で、ABCD包囲網なわけだ。ちなみに当時の日本にも亜細亜主義者をはじめとして「アジア独立のための進出」を真剣に考えていた人間もいるだろうし、日本がやってきたことを戦略的に利用したアジア諸国の首脳たちも存在し、実際役に立った部分があるのは事実である。しかしながら、歴史を振り返れば明らかなように、ナポレオンの「革命精神の輸出」であれ、アメリカの「民主主義の輸出」であれ、ヒトラーの「民族自決」の原則を利用した領土拡大であれ、戦争や侵略には須らくと言っていいほど大義名分が伴うものである。かつまた、それぞれに近代市民社会の到来への貢献などプラスに評価できる側面もあるわけだが、巨大な負の側面に目を背けてその大義名分やプラスの面のみ取り上げるのは、何か政治的な魂胆があるか、はたまた何らかの理由で冷静な分析ができなくなっているかのどちらかとしか考えられない。ちなみに日本の場合、第一次大戦後の世界の平和路線を変調させるきっかけとしての満州事変&国際連盟脱退という「前科」があり、そこから10年も経たぬうちに日本より発せられた「アジア独立のための進出」などというお題目が、勝敗の決まっていなかった当時でさえ一体どれだけ説得力があったのか、よく考えてみた方がよい。ましてや、枢軸国の暴走を連合国が破砕したところに打ち立てられた戦後レジームの中では、ただの「歴史修正主義」としか捉えられず、プラスを産みなどしないのである)。

 

以上のように、色々考えるきっかけにもなるという意味で、あながち無意味な比較でもないと思うのがどうだろうかね?

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