いやー感心しますわ。何がかって、ひぐらしのリメイクが放送始まってからひぐらし関連の記事へのアクセルが急増したんですな。
基本的に自分の記事はネタバレ御免なものばかりだし、仮にリメイクでひぐらしを知った人なんかは、「澪尽し編」とか調べるわけもなければ、アクセスするわけもないから、おそらくすでに知っている人たちが再度興味をそそられて検索→アクセスという動きを取っているのだろう。アクセス解析をすると「カテゴリ(ひぐらし)」が上位にくるので、初めてここに来る人も結構いるものと思われる。
そんな風にして末端においてリメイクの効果を感じている昨今なので、とりあえずリメイクひぐらしのOPとEDだけ見てみた。その印象としては、旧版の「無印」(鬼隠し編~暇潰し編をそう呼称しておく)と「解」(目明し編~祭囃し編)の要素を組み合わせたような内容でなかなかに興味深い。たとえばOPは、「無印」のようにひぐらしの世界をざっと見せるような内容になっている一方で、梨花が走っているシーンの強調は明らかに「解」の要素を思わせる(最後のは「カケラ紬ぎ」かな?)。
ただ、そのような融合の結果として、のっけからあの人物まで描写しているあたりは、サスペンスよりホラーとしての側面を強調する意図を暗示しているのだろうか(まあ後になってバラすと強い反発が来る要素の一つなので、先にあえて見せておくってことなのかもしれないが)?
まあそうはいっても、原作が出てから20年近く経っていて一度アニメ化もされているため、「無印」OPの謎めいた秘境のような描写とは違って「スタンガン」などのようなキーとなる符牒を散りばめているのは初見の人(これは何を意味しているのか?)も一度見たことがある人(ああ、ここでこれを描くのか!)も引き込める演出として巧みだと思った。
またEDもOPと同じで融合的というか、曲調は「解」に近いが描写は「無印」というのが一回見た印象だが、違いもある。例えば繰り返されるメインキャラクターたちの家族の描写は、この物語が「絆」や「しがらみ」(そして「共同体」)を一つの根幹に据えていることをわかりやすく提示したものと言えるし(これを「無印」の段階で強く打ち出しているのも、融合的と感じる理由だ)、また徹底して片方の側(初見の人もごく一部いるかもしれないので、一応ボカシて書いておこう)しか描いてないのも、意図的なものを感じるのは私だけではないだろう。
とまあOPとEDを見て製作者側のスタンスはある程度伝わってくると感じた(まあ相当な時間をかけてのリメイクなのは伺えるので、さすがにそこら辺はぬかりなし、というところか)。そのことによって、すでにOPとEDでもう旧版が提示したことはある程度描写してしまっている、とも言いうるので、これから本編の方を見て、何をそこに上乗せしていくのかに注目しつつ、色々また考えてみたいと思う。
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