誤爆も二回続けばトビそうなので、ここでさすがに張っておきたい。何言ってるかわからねーと思うが本当のことだ・・・
てな導入はさておき、最近の記事では、「既得権益への拘泥」も「コンサマトリー」も「清貧」も、現状肯定的な思考停止を言い換えただけなんじゃない?という指摘を続けてきた(「コンサマトリー」も「清貧」も、それ自体は価値を持ちうる言葉だが、今の日本社会に対する使い方は先のような特徴を良さげに言い換えただけに思える、ということだ)。
そもそも、日本社会が(相対的に見て)経済的に衰退していくことは明らかである以上、成長する努力をしなければ、現状維持すらできない(加えて、衰退は医療インフラなど生命に関わるレベルで影響することまで正しく認識している人間は、一体どれだけいるのか)。
今のような認識を踏まえて冒頭の多井隆晴の動画を見れば、色々得るものはあるのではないか。
例えば彼がVtuberと積極的に絡みにいく理由は、麻雀のゲーム配信をするライバーとネットワークを作り、相手(Vtuber業界)にとっても自分(麻雀業界)にとってもwin-winになる状況を作るためだ、と説明されている。また、貴重な居場所(第四空間)をどんどん「善意」で削っていく人間(この場合は指示厨)の愚かしさへの指摘もなされており、非常に興味深い(詳しく言えば、「自分の言動が結果的にどのような影響を与えうるかについての認識に乏しい=メタ認知を欠いた条件反射的でナイーブな発言」となるが、これはまた別の機会に取り上げたい)。
口さがない人だけど、さすが組織のトップ張るだけあるわと私は感心した。自分の事はアグレッシブにアピールしているけど、他人の批判についてはかなり言葉を選んでいる様は随所に伺えるしね。
ちなみに多井隆晴を私が認知したのはVtuberの動画からだが、特に印象に残っているのは、麻雀大会に向けてチームで事前練習をやる際に、連絡を他のライバーに返さない文野環(にじさんじのライバー)を多井隆晴がたしなめているシーンだ。
それはもう、子供に言い聞かせるように諭すような話し方だった(嫌味でそのような話し方をしていないのは第三者が聞いてもわかるレベル)。相当頭がキレるし、高いポジションにいる人であることはさすがに当時も理解していたので、それほどの人が自分以外の事でここまで気を遣って対応するってすごいな。多分人間関係で相当苦労したんやろな~と思った次第である(後でたかちゃんねるの動画を見て連盟脱退やら会長就任やら様々なゴタゴタがあったのを聞いて、なるほどと納得した)。
閑話休題。ともあれ、こうして調整を計りながらネットワークを広げていかなければ、現状維持≒衰退を意味することは改めて強調しておきたい。
もしそうでなければ、じり貧でいつ奈落に落ちるかギリギリの生活をする羽目になる人間が量産されることになるだろう。なるほど「三丁目の夕日」などを見て夢想するように、数十年前までであれば、そういう存在を伝統共同体が包摂しえたかもしれない。しかしそれが、今や急速に解体していることは述べるまでもないだろう(そこには様々なしがらみからの自由といった理由があったため、今さら「では昔に戻しましょう」としても局所的にはともかく、社会全体としては無理である)。
よって、江戸時代のような社会に戻ることも不可能である。そのようにジリ貧社会で包摂機能も脆弱な社会において、自己責任がやたらに喧伝されるならば、その末路がどのようなものになるかは、ただ自殺の増加(自己責任の貫徹)と拡大自殺の増加(疎外されモナド化した人間の暴走)を指摘するだけでも十分というものだ。
以上。
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