「普通」を騙る悪意なき処刑人たち

2015-09-08 12:09:26 | 生活

 

本来は「他人の顔」「屈折」「介護ロボット」の流れでペルソナ・結婚に関する映画作品の話をしようと思ったが、予定を変更してジェーン・スー「相談は踊る」の冒頭に出てきた相談について書きたい。

 

「相談は踊る」という番組はもう70回ほどになるが、「アフリカで貧困に苦しむ人には同情したり寄付したりするのに身近なホームレスを助けようとしないのはなぜなのか」など様々な印象に残る相談が出てくる。中でも、今回取り上げたもの(この場合は質問)は、普段からあった違和感と符合し、強く頷けるものであった。それはつまり、「悩んでいることについて、『それってでも普通じゃん』って言うけど、普通だったらそれに対する辛いって気持ちはなくなるのか」と。

 

もう少し詳しく言うと、

「『多い=普通=平気』。この方程式がおかしくないですか?」、「(普通じゃんて言う人は)『私はもっと我慢している』って言葉がその裏には隠れていると思うんですよね」、「ってことはつまりその人も辛いんじゃん、と思ったわけですよ」。「(そのような反応・言動は)他人に対する攻撃に変化しちゃうんだよなーと思ったんですよね」、「私はそれを我慢している。その辛い気持ちを発散しようとは思ってない。だからお前も・・・( ゜д゜)ハッ!」

という話なのだが、これを聞いて俺が連想したのは、生活保護に関してその補足率の低さではなく目に付いた少数の不正受給を問題にするメンタリティである。

 

生活保護を受けるのはとにかく恥ずかしいものであるとか、(この言葉もちょっと危ないけど)「弱者救済」が単なる恩恵であるといった観念もこのような発想から生まれてくるものではないか。それはまるで互いに首を絞め合っているかのごとき状態であって、片方が苦しいと言っても「いや、俺も苦しいし」と言ってお互いに手を緩めようとしない。それはどちらかが死ぬまで続く忍耐要求という名の無理解の連鎖であり、不毛なチキンランのようだ(システム=前提となる環境そのものがおかしい可能性はないのか?)。相手の感情やその理解を拒絶するような下方向への同調圧力が、この社会を生きにくくしている要因の一つだと私には思えるのである。

 

今では『下流老人』『最貧困シングルマザー』などで過酷な現実が様々明らかにされてきているが、以上のような点が意識的に改善されていかなければ、結局は自分も大変な思いをしていると言ってみたり、あるいはまるで理解を拒絶するのが目的のように相手の揚げ足を取り始めるだけで、個人の不満のレベルであれシステムのレベルであれ、問題は放置されたままになるだろう。

 

そうならないための「構え」をどのように広げていくか・・・これはひとつの重要な課題だと私には思えるのである。

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