こういった動画を見てなお、化粧と整形の間に超えられない壁があるなどと思うなら、あるいは自分たちが見ている外観がかなり実態に近いものだと思うなら、その人はもう病膏肓に入ると言わざるを得ない状態である・・・ってかこれどう見ても別人ですわ(;´Д`)
かと言って、じゃあ化粧と実態の落差に気づいて「本当の状態」がいい=化粧なんてしなくても・・・なんて野郎どもは言うだろうか?まず言わないのである(まあ国によって多少温度感は違うかもだけど)。
こういう実態を見ると、化粧は否定せんのに整形はアカンと言っているのは(それが嗜癖レベルになっている場合を除けば)偽善だと言える。またここまでメイクアップに血道を上げることでこれだけ変化するなら、アンチエイジング技術が発達したらそこに人が群がるのは、火を見るより明らかだとも思う。さらに言えば、こういったレベルでメイクをすれば相当お金もかかるだろうから、『裏オプ』に書いてあった「いくら稼いでも服とかでお金が消えてく」って話も、なるほどと頷けるものではある(正直大学生の時の服や家具を20年近く使い続け何も不自由していない身としては、ちょっと信じられないことだが。まあこれは前にも言ったように、理解できないからこそその行動原理に興味を持つって話だ)。
ちなみに、いきなり何で整形の話かよと思ったかもしれないが、これは「やっぱりネコが好き」の続きである(この機会に大掃除w)。すでに化粧が虚飾そのものなのだから、「一期は夢よただ狂え」とばかりにそのゲームに身を委ねるといい。もちろん、そのゲームの在り方に異を唱え、ゲーム盤そのものを作り替えようとするのは理解できる(たとえば、ナオミ=ウルフは装いへの固執は男性の目に固執=従属しているからだ、としてそこからの解放を説いた。まあ現実は全くそうならんかったわけだがw)。しかし、ゲームの在り方を理解せず、あたかも何か交換不可能な深奥の存在を夢想するのは、せいぜいボーイまでにしといてほしいもんだ。
ちなみに今述べたゲームを生きる人間の話と、そのゲームを絶対的な真理のように思ってしまう人間の対比は、『他人の顔』でマスクをした主人公と関係をもった妻を非難する主人公のナイーブさと、一方それを新たなゲームの開始として主人公との関係性維持のためにゲームに乗る女性の懐の深さ・逞しさの対比的描写に他ならないと私は思うのである(まあもっとも、これ行くとこまで行くと「ゴーン・ガール」になんだけどね)。
とゆーわけで、以下が原文ですたい。
【原文】
いいかね、一体あなたが見ている女子のどれだけが「素」だとお思いで?化粧動画を一度でも見れば、いかに様々な装い、言葉を変えれば彼女たちのたゆまない努力によって形作られているのか痛感することであろう。それを知らずに整形をもって「虚飾=悪」などと思っているのなら、まるで法を見てそれがそのまま真実だと考え、この社会との緊張関係など思いもよらない世間知らずと同類の愚か者と言えよう。それにインターネットのニュースサイトに跳梁跋扈する広告の数々を見たまえ。いかに痩せるか、いかに若さを保つか、というものばかりではないか。ではそのような努力・営為と、多額の資金を要する整形を比べてみた時に、一体どうして後者に対して生理的嫌悪感を覚え、しかもそれを隠そうともしないのか?あるいは、今私が述べたような疑問を、どうして多くの人が持とうともしないのだろうか?
以上を踏まえれば、整形を批判する社会的根拠など存在しない、と言わざるをえない。それがあるというのなら、なぜ化粧やアンチエイジングは肯定されて整形が否定されるのかという説得的な理由を述べる責任というものがあるだろう(なぜって、それを元に他者を批判するわけだからね)。
さて、これほど自己改造の欲望が世に溢れていることを思えば、整形の前にある精神的ハードルとはせいぜい、どれくらい自分の社会で一般的か否かというぐらいのものでしかない。化粧やそのレベル感と同じでね(たとえば化粧はマナー的にみなされるとは言え、体調が悪い人がそれをできなかった時に厳しく糾弾されるほど絶対的なものでもない。まあマスクなどによって「上手くごまかす」ことを暗黙に求めるような場面・輩はいるかもしれないが)。そのことを思えば、しばしば流れる有名人の整形暴露情報は、醜い嫉妬や引きずり降ろしの精神を体現するもの以外ではなく、そんなに羨ましいなら自分がやればよく、自分は(たとえば経年による不安などの理由があって)やりたくないのなら個人の自由であるから放っておけばよいのだ(仮に整形を一時の栄光ないし見栄のための短絡的行為[=短期的には異性に持て囃されたり自尊心が満たされるかもしれないが、長い目で見れば顔の形が崩れるといった潜在的リスクがある]とみなすなら、それは数十年後にリスクとしてその人を脅かし、襲い掛かるのだから、因果応報という点で高みの見物を決めておけばいいのではないか)。
以上をふまえると、いずれリスクが軽減されていけば、自らの身体を改造する人間がどんどん増えていったとしても、全く驚くには値しないと私は考える。いや少なくとも、自らの欲望を意識することなく他者の行為に嫉妬・批判し、あまつさえその行為を医療的なリスクという美辞麗句で糊塗するのなら、その醜さこそがその人の正体だ、と私は断じることだろう。まあもっとも、不倫を叩きまくる未開社会的メンタリティの連中がうようよいるこの社会においては、いつまで経っても整形=自然に反する行為という根拠なきドグマが生き延び続けぬとも限らないがね。
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