今回も宗教分析のフラグメントですな。日本の無宗教をすぐに多神教と結びつける言説があとを絶たないので、じゃあインドと比較してみろやというのが前者。また日本はキリスト教が(結果として今日)広まってないことの理由づけとして東洋と西洋の対立図式を考えたり、先の多神教VS一神教図式で考えたりする人も少なくないが、じゃあキリスト教が結構な割合で広まっているお隣の韓国の状態をどう説明するの?という話。
端的に言えば、比較宗教学的視点が欠落してることへの批判と、そこから透けて見える脱亜入欧的オリエンタリズム(島国根性という側面もあるが)への警鐘というところか。
まあ仕事でもなく思い付きで感想言ってる・書いてるだけなのに批判されるのメンド―だわと感じるかもしれないが(まあ私も仕事では全くないけどねw)、そういう何気ないところにこそ思考の本質は表れる、と私は思う。
つまり、日本人の無宗教についてその言説も含めある程度突き詰めて考えると、見えてくるのは実体の複雑性と同時に、自分たち(とあえて書いてしまうけども)がいかに貧しい歴史知識や歴史観しか持っていないのかという事実であったりする(これは戒めと慎重さにも繋がる)。まあだからそんな営為もなく「昔は~だった」という「コスプレ保守」みたいなのは毎度毎度批判するわけだけどね。
そしてこういう思考方法は、宗教や歴史だけではもちろんなく、ある種の普遍主義というか「普遍志向」として、ジェンダーの言説分析や多様性のことを考える場合にもつながってくるのである(これは二つの意味があって、普遍主義で考えるからこそ、自分の他者への言説を我が事として考えてみるという風にもなるし、逆に普遍的法則性を考えるからこそ、そこに当てはまらない存在をきちんと認識・承認することにもなるのではないか。漠然と「みんな同じである」・「同じであるべきだ」というまさに「空気」のようなものが、実態とかけ離れている以上最も危険である)。
なお、この流れはフラグメント228の「日本人はいかにして多数が無宗教と自認するに到ったか」、229の「寺院消滅」などから続いている流れである。ちなみに2020年現在で日本人の大半が無宗教となった背景の考察は、「コギトエルゴスム」・「公式発表も『終わって』いるので、『真理』より認識のあり方を探求すべき」・「重層的変化のパースペクティブ」・「仏教勢力の盛衰と世俗権力との関係」まで書いており、これから戦後日本の変化について言及していく予定である。
〈無題〉 2018/11/27
インドとパキスタンを思えば、「かつての宗教状況で現状を正当化」する行為なぞかクソ食らえ。かつてはともにヒンドゥー教だった。しかしイスラームの侵入で主に北インドがイスラーム化した。マフムードが草葉の影で泣いてるぜ。しかも、二分されたままではなく、統合の動きもあった(ラーマクリシュナ)。ヒンドゥーは仏教も飲み込んだ。シク教。
つまり、歴史的変化=ダイナミズムに目を向けるべき。他の地域でもマニ教や全真教、ミトラ教。明確に分けられない。地域性もある。南と北。欧米も同じ。アメリカ。海岸沿い。ユタ州。テキサス州の違い。ドイツは北と南。文化闘争。それも北のルター派と、ローマカトリックに近い南。日本も同様。真宗篤信地帯、鹿児島、沖縄、天理町、都市部。
見えてくるのは、「作られた伝統」、近代の国境線に縛られた思考、島国根性、明治以降の歪んだオリエンタリズム。西欧を鏡として自分たちを見ようとするが、アジアは見てない。一般の人間の思考。思いつきだからこそ、本質を表してる。
〈韓国とキリスト教〉 2018/11/29
キリスト教徒、とりわけプロテスタントの割合が急増したのは終戦後のアメリカ占領下と李承晩政権時代。
間違い。正しくは政府高官に占める割合。しかし、1950年代に信者の数は10万から100万に増加。
終戦時0.52%がプロテスタント。朝鮮戦争後の占領期は高官の50%、50年代の李承晩期は40%という極めて高い数字。米軍統治の責任者になったホッジとマッカーサーはキリスト教を強力に支援。キリスト教、特にプロテスタント系はアメリカ留学者も多く、アメリカとのパイプ役として活躍。李承晩もそのうちの一人。この時代、「国教」の様相を呈した。やはり政府や権力者の政策は極めて大きな影響を持つことがわかる(なぜか日本の宗教の話をする時はいきなりメンタリティの話になるのが不思議だが)。ちなみに日本を統治したGHQは、マッカーサーの意向で当初同じようにキリスト教布教を強く押し進めようとしたが、天皇を上手く統治に利用するにあたってマイナスの可能性があるのでやめた、という経緯があるようだ(植民地化の経験と、宗主国の政策とその影響はつぶさに分析すべき。ただ、キリスト教と一言で言っても、カトリックとプロテスタントではそもそも布教に対するスタンスが異なるなど多様性に留意する必要あり)。
プロテスタントは抗日運動。アメリカとのパイプ。カトリックはどちらかと言えば順応的で、神道非宗教で礼拝を正当化・強制をいち早く受け入れ。しかも留学やらアメリカとのパイプやらがない。だから大きく水を開けられる。それが民主化運動の柱になることで、注目されるようになった。
仏教とシャーマニズム(アニミズム)の混合。仏教の国教化、仏教と儒教の対立。キリスト教の弾圧。
韓国の原信仰が一新強敵要素を持っていたから、キリスト教を受け入れることに繋がった。大いに疑問。古代ローマ世界やアラビア半島は??朱子学の理気二元論がキリスト教の世界観と類似。それは日本にも入ってきたし、中国でも強勢。その地域でキリスト教が結び付いた事例は?違うとすればなぜ韓国だけそうなの?
中国と韓国におけるキリスト教と祖先崇拝の対立。否定の動きと容認論構築の努力。日本と比較せよ。
抗日の支柱。団結の軸。日本では、藩意識ないしムラ意識に支配されていた日本人を統合するために天皇制が構築され、(善きにつけ悪しきにつけ)よく機能した。それとよく似ている。
コミュニティチャーチと寺院消滅。地域と宗教施設。街区と宗教施設。日本でも地方では結び付きが強く残っている。
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