ビースターズ:第一期を見終えて 真

2019-12-31 11:55:00 | レビュー系

こないだは盛大な誤爆をかましたので、今度こそちゃんとした記事を書きたい。


てなわけでビースターズアニメ版第一期の感想だが、ルイとビルの部長室でのシーンが欠落したことへの拭いがたい違和感はあるものの、全体としては非常に完成度の高いものだったと言えるだろう。


少し補足すると、海外のレビューでも「ルイはあの銃をどこで手に入れたんだ?」と疑問に思った人はいるようで、それはあのシーンが無くなった以上当然だろう。このように様々影響はあるが、ハル救出で第一期が終わるという展開上、ルイのこの先への読み切れなさを余韻として残すという意味でも、これはこれでありだなと今では思うようになっている(もう少し言えば、原作のようにルイのサバイバル能力があらかじめ描かれていると、第二期での彼が多少は予測しやすくなってしまい、受け手にとって引き延ばしによるドキドキ感、つまりサスペンス的要素が薄れるということだ)。


さて、そんな第一期だったが、その高い完成度については繰り返してきたので詳述はしない。ただ、お題目と身体性、共生と葛藤といったテーマ(あえて言うなら、現実を生きる者たちの生きざまそのもの)を中心に据える本作だからこそ、感情を暗示する色彩・独特な動きと躍動感・洗練された演技などアニメ版で追加される要素により、彼・彼女らの姿とそこから立ち現れるテーマ性がいっそうvividなものとなる、素晴らしい出来映えだったと言えるだろう。


ここまで書いたらやはり少し突っ込んでみたくなった(笑)ので補足すると、ルイの発言やジュノの発言が「正しい」内容なのに、それが一面しか見ない、あるいは表面を取り繕うだけのお題目だと明示されている点に注意を喚起したい。


現実の私たちで言うなら、これは保守的であれ、排外的であれ、ポリコレであれ、そういうものに中身も吟味せず乗っかったり全否定したりする「言葉の自動機械」とは真逆の反応である(こういう現実の複雑さについては、歴史認識、短絡的な自己責任論への批判など様々な形でこのブログでは書いてきており、そこに通ずるものがある、ということだ)。



この点については、作者板垣巴瑠の来歴がかなり影響しているようにも思える。すでに週刊チャンピオン誌上で板垣恵介(バキの作者であり彼女の父親)との対談が掲載されてしばらく経つが、そこで印象的な部分の一つは、彼女が少女漫画の「ちゃお」とバキを同時に読み、吸収していたという点だ。全く逆の方向性だけにインタビュアーも驚いているわけだが、レゴシとハルのすれ違い方、それぞれの内面描写、そして異なる者同士の繋がりや共生のあり方を思えば、作者が先の読書体験を通じて「そのどちらもが、同時に真である」という認識を持ち、おそらくその上で人物や社会を透徹した眼差しで観察してきたからこそ、この素晴らしい作品が描けたのだと私は思う。


2019年は、ビースターズという傑作に深くコミットできた年として、私の記憶に刻まれるだろう。来年はアニメ版第二期でさらなる飛躍を遂げ、またいささか風呂敷を広げすぎな感が出始めている漫画版がしっかりと着地することに期待しつつ、この稿を終えたい。


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