フラグメント147:疫病、疑似科学、ノイズ排除

2013-06-17 18:38:22 | フラグメント

2010/10/28

 

<さあ十年ルーツ、アロマインパクト、東久留米>

計画的無計画。所沢[に向かう]。ハンセン病資料館[に寄る]。砂の器ベンハー[などでらい病・ハンセン病は]妙に昔から馴染み深い言葉。古代や近世の認識…仏罰、「けがれ」、家筋(砂の器で息子までも追い出された理由)。患者は罪深き者。「神の罰」の記事。今日の我々は非合理的な差別から自由になったのか?同じことを繰り返してないか?精神病、ゲームをやる人間(「ゲーム脳」)etc...潔癖さが蔓延する社会を思うとき、この傾向はいくらでも巧妙にカモフラージュされた状態で加速しうる[性差や男ー女の境界線の問題など]。しかし重要なのは、歴史的に見て、そのような傾向が我々の抜きがたい性質として存在しているということ。ゆえに、解放のための啓蒙で事足りると思うのではなく、それを逃れらぬ業と知り、とはいえ正当化することなく、いかに共存していくかを不断に考えていくことではないか[『東日本大震災の流言・デマ』の表現方法「ヒトラー最期の12日間」『ヒヤマケンタロウの妊娠』の効果、「夜と霧」の問題点→構造的必然の感得と気付きを生み出せるか]。

 

<趣味の問題>

****対策はやらない。***で対応。**・*対策を決定。「エンターテイメントだから大目に見なよ」てのはわかるが、「ネタからベタ」という性質を持つ久にには通用しない[この部分特に文脈不鮮明]。ノイズ排除が異物の排除へ[「萌え」の病理「調和と地雷」]。自分の快適なものしか受け入れない。擬似科学が跳梁跋扈する(→ケータイを持ったサル)。手法云々じゃなく自分が気に入る結論ならそれでいい[決め手は、彼らが理解してほしいという思いのとおりに彼らを理解してやることだ]。プロパガンダの格好の餌食。自己責任だが、そいつらが共生のアーキテクチャーを食い荒らすのがうざい。他人に迷惑をかけさえしなければ、何をしても「許される」。誰によって?あるいは何によって?また、「迷惑」の範囲もまた可変的であるため絶対的な規範たりえない。

 

<購入SQDY-****.7:50 羽田>

JAL****.****.FUJITA.ねとすたシリアスの紹介→君望の記事[cf.さよならを教えて:自慰識過剰なる世界]。「エリートオタク」が「ダメオタク」を批判する?「オタク」観念こそむしろ問題。結果として類型的な振る舞いをしている、という事実性ならまだしも、それで自分の行動を縛るなぞ愚の骨頂。常に何らかの影響があり、たとえば「無意識」のような真の自己・純粋な自己が存在するというのは幻想(「普通」の話、嘲笑の淵源における統一的な自己・本当の自分の欺瞞)。沙耶の唄の作者の時代錯誤の原因の一つ[+人間に深遠なるものを見出すという近代的発想]。「オタク」の類型が古びているのに気付かない(ねとスタで言えばLDとウィニー、記事ならオリジナルと大量コピーの対比)。それが一般的と思うかと聞かれればおそらくNO.でも他の視点を持てない。思考的閉塞

 

<金>

九月に入って****(八月末に*と話し合って****に決めた。**は**にいて話ができず)。10月に*****の***があるので九月までは残るように**へ。*とも話すように言う。*とは話し、***が出たいなら**は好きにしなさい、と言っていたらしい。**は出ず、****などは***渡してある。10月末に*が帰ってきて電話。本人から聞いてない。**にも出ていないので****で。

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