「終末の過ごし方」、「君が望む永遠」の評価
偶然性、根源的な未規定性、「どうしようもなさ」を理解できない人がほとんど。参照項…極限状態の記事、青空における絶望的状況と超越的存在の呼び出し、「ひぐらしのなく頃に」と「うみねこなく頃に」の違い→後者に熱が入らない理由(箱庭=象牙の塔の話にすぎない)。原因は…自由意思に対する信仰?新自由主義や自己責任の観念との関わり。宗教への無理解。平和ボケ。ヌルい作品群によって頭が腐れきっている=世界のデタラメさへの耐性を失っている。「サバイバーズ・ギルト」の記事を書いた本来の意図。偶然性という「安全弁」・「戒め」がなければ、ネタとの戯れがベタに堕することは決して避けられない。 【結論:想像力の欠如】
君望における行為への埋没
自分自身が何をやっているのかすらわかっていない=再帰的思考の欠落→自分自身の思考・行為の前提に立ち返ることができない(ex.「キャラへの埋没」)。相手の文脈で考えることができないのは当然→「共感」が相手の立場になって思考や感情のあり方(=背景)をトレースする行為だとすれば、決して不可能。それどころか、もし丸山の言う「作為の契機の不在」と連動している(もっと一般化できる)なら、「日本人は他者に同情することはできても『共感』することはできない」という言い方さえ可能(or有効)。今は閉塞した思考パターンを乗り越える土台(訓練)ができていない状態なので、「共感」を奨励したり「自然な共感」という言い方をすれば、多様性フォビアと結びついて排除の論理を正当化・強化させるだけ。また再帰的思考ができないがゆえに、戦略的な思考や部分的な調整といった視点を持つことは極めて難しく、一足飛びに本来性(ex.本当の自分)に飛びついたり超越的なものに自分を一体化させようとする。「白木屋談義」、「自由からの逃走」、「ナショナリズムのゆくえ」。 【結論:思考力の欠如】
【最終結論】
知識はあっても、想像力も思考力もないので、単なる突っ込み野郎になるか「快ー不快」オンリーの反応しかできないのは当然である(そして知識があることをもって「わかっている」と思い込むため、なかなか思考的閉塞に気付かないところがタチが悪い)。ただ、価値観の多様化の中でコミュニケーションが多様化・活発化するどころか、むしろ「空気」を読めるだけの人間か自分の思っている事をただ垂れ流すだけの輩が増えているようなので、この状況を変えることは相当に困難なように思える。それを前提にした上で、どうソーシャル・デザインをするのか?
偶然性、根源的な未規定性、「どうしようもなさ」を理解できない人がほとんど。参照項…極限状態の記事、青空における絶望的状況と超越的存在の呼び出し、「ひぐらしのなく頃に」と「うみねこなく頃に」の違い→後者に熱が入らない理由(箱庭=象牙の塔の話にすぎない)。原因は…自由意思に対する信仰?新自由主義や自己責任の観念との関わり。宗教への無理解。平和ボケ。ヌルい作品群によって頭が腐れきっている=世界のデタラメさへの耐性を失っている。「サバイバーズ・ギルト」の記事を書いた本来の意図。偶然性という「安全弁」・「戒め」がなければ、ネタとの戯れがベタに堕することは決して避けられない。 【結論:想像力の欠如】
君望における行為への埋没
自分自身が何をやっているのかすらわかっていない=再帰的思考の欠落→自分自身の思考・行為の前提に立ち返ることができない(ex.「キャラへの埋没」)。相手の文脈で考えることができないのは当然→「共感」が相手の立場になって思考や感情のあり方(=背景)をトレースする行為だとすれば、決して不可能。それどころか、もし丸山の言う「作為の契機の不在」と連動している(もっと一般化できる)なら、「日本人は他者に同情することはできても『共感』することはできない」という言い方さえ可能(or有効)。今は閉塞した思考パターンを乗り越える土台(訓練)ができていない状態なので、「共感」を奨励したり「自然な共感」という言い方をすれば、多様性フォビアと結びついて排除の論理を正当化・強化させるだけ。また再帰的思考ができないがゆえに、戦略的な思考や部分的な調整といった視点を持つことは極めて難しく、一足飛びに本来性(ex.本当の自分)に飛びついたり超越的なものに自分を一体化させようとする。「白木屋談義」、「自由からの逃走」、「ナショナリズムのゆくえ」。 【結論:思考力の欠如】
【最終結論】
知識はあっても、想像力も思考力もないので、単なる突っ込み野郎になるか「快ー不快」オンリーの反応しかできないのは当然である(そして知識があることをもって「わかっている」と思い込むため、なかなか思考的閉塞に気付かないところがタチが悪い)。ただ、価値観の多様化の中でコミュニケーションが多様化・活発化するどころか、むしろ「空気」を読めるだけの人間か自分の思っている事をただ垂れ流すだけの輩が増えているようなので、この状況を変えることは相当に困難なように思える。それを前提にした上で、どうソーシャル・デザインをするのか?
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