昨日の記事でOPテーマのI believe what you saidの1番・2番について考察した。それを踏まえつつ、今回はEDテーマである「神様のシンドローム」について書いてみたい。ちなみに最新話の第8話(おそらく綿騙し編最終話)は現時点でまだ見ていない状態なことを付け加えておく。
歌詞はこちら。
全体としては、「繰り返される悲劇とそれでも信じたいという祈りが歌われている」と言ってよいように思う。その意味では、OPテーマと違って、あまり歌詞から有意なヒントが得られる感じはしない(新しい情報が増えない)。
しかし、それでも気になる点を二つ挙げるとすると、
1.題名の「神様」とは誰のことなのか?
やはりこの世界がメタレベルの存在、すなわちベルンカステルやアウローラによって構成されている可能性。それとも羽入が「ひぐらし 業」の世界構築に深く関わっているのだろうか?
2.カレンダーを必死にめくる描写は何を意味しているのか?
これは謎。あの時に戻れていれば・・・みたいな心情が旧ひぐらしで描写されたことはあるが、時を先に進めたいというような話はなかったはず。また場面的には鬼隠し編を連想させるが、「ひぐらし 業」では周知のように鬼隠し編が登場しない。「原点回帰」という意味合いにも取れるが、そうするとカレンダーをめくり続けたと思しき描写と真反対の内容になってしまう。まあ「ひぐらし 業」も第一話こそ圭一が二人を撲殺している鬼隠し編のラストからスタートしているので、改めてそこと鬼騙し編や綿騙し編が何かしらの繋がりがあることを象徴しているのかもしれない。
まあ「何をしたところで1983年6月22日には終わる世界」を象徴しているという見方もできるが、その場合梨花にとってなのか、雛見沢あるいは世界(というとかなりザックリしてるが)にとってなのかが不明。
梨花にとってはまあわかる。そこを超えることがある意味でハッピーエンドの最低条件みたいなものなので。しかし雛見沢であれば、それは目明し編からもわかる通り必ずしも必然ではない(要するに鷹野の計画が失敗する)、世界はなおさらである。
3.各キャラクターの家族描写
OPテーマでは各キャラクターが登場し、すぐ近くにいるのに目を合わせない(疑心暗鬼を象徴)、バット・ナタ・スタンガンとそれぞれのキャラクターを象徴する凶器の描写などにより、ひぐらしの世界観をわかりやすく短時間で説明している。
代わってEDでは、冒頭こそ各キャラクターが教室や帰り道(部活?)で一緒にいる場面が描かれた後、各々が家族に問題を抱えていると思しき描写が登場し、これが各キャラクターの背景(葛藤など)を説明していると考えることは容易だろう。
そこでは最初から羽入や詩音、鉄平、レナの父などを出していることが印象的だが、ここで一つ引っかかるのは
(a)圭一の家族は描かれず、圭一が凶行に走る場面が登場
「ひぐらし 業」では普通に圭一の両親が描かれているのになぜ??それとも「ひぐらし 業」の世界は症候群で(?)圭一が両親を殺してしまう世界の延長にあるのか???
(b)梨花にとっての羽入(と上下反転した古手神社)
沙都子にとっての鉄平、レナにとっての父親がそうであるように、「家族=自分を守ってくれる存在」ではない。むしろ鉄平はほぼ敵と同義とさえ言えるだろう。そう考えた時に、梨花と羽入が並置されているのはどう考えることができるだろうか。
そもそも論として、梨花の両親はすでに謀殺され、「家族」と呼びうる存在が羽入しかいないのは周知の通りだ。しかし、それが味方と必ずしもみなせないことは前述の通りだし、加えて古手神社が反転していること、そしてOPにもあった左右反転の手からすれば(もちろんここからは鬼騙し編のリバーシブルが連想される)、羽入≠味方ということを象徴しているように思えてならない。
するとここまで何度も述べてきたように、この「ひぐらし 業」の世界構築に羽入が関わっているか、あるいは少なくともその構造を正しく説明しないことで消極的に加担している可能性が思い起こされるのである。
まあもちろん、今一度家族描写のことに立ち返るなら、園崎家姉妹にとって園崎本家は二人の仲を微妙なものにしている存在である一方、園崎家当主が敵でないことはすでにわかっていることでもあるし(まあ第8話でそこすら反転するのだったら話は別だけど)、家族≒敵(少なくともマイナス要因)とまで言い切ってしまうと強引ではあるのだが。
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