『宗教改革の真実』を読み終え、昨日から『拝啓マッカーサー元帥様~占領下の日本人の手紙』を読み始めた。
題名から多少想像がつくかもしれないが、この中では様々な形での日本人の転身や強者へのへつらいが見て取れる。その様をして、筆者は「もともと人間は権力に寄りかかる動物だが、日本人にはその傾向が民族性といっていいほどに強い」と述べている。私としては、まだ少ししか読んでいないこともあって答えを出すのは避けたいところだが、一つ疑問に思ったことがあるので書いておきたい。それは、いわゆる「判官びいき」と「長いものに巻かれろ」という哲学の関係である。
「長いものに巻かれろ」が勝者・強者へのへつらいだとすれば、判官びいきは敗者への同情と言えるのではないだろうか。勝者の立場に入り込んで敗者を切り捨てるというのなら分かりやすいが、敗者への同情が共存しているという点でアンビバレンスな状態だと言えるだろう。とすれば、そういった状態はどのようにして生まれたのだろうか?また時代を経てどのように変化したのか、など色々興味は尽きない。
そして判官びいきという傾向を考えたとき、終戦によって手の平を返したように日本が否定されるようになったという現象はおもしろい(※)。というのも、勝者のアメリカにすり寄るのは「長いものに~」でわかるとして、敗者すなわち日本側に対する判官びいきが起きなかったようにも見えるからだ(あるいは判官びいきとは他者に対するものであって、自分を含む場合には適応されないのかもしれない)。いやもしかすると、様々な形で判官びいきは起こっていた可能性もある。とすればその顕れが、実は「日本政府=悪、兵隊・民衆=被害者」という(意識上の)構図だったのかもしれない。
色々と考えられるが、終戦によって変化したアメリカ軍と旧日本軍に対する態度、さらには勝者と敗者への相反するようなメンタリティーは、日本思想史を考える上でおもしろい問題かもしれない。
※
源平や明治維新という事件において、義経や佐幕派に対する同情が見られたことからすれば、ここで旧日本軍に対する判官びいきが起こってもおかしくないように思える。
題名から多少想像がつくかもしれないが、この中では様々な形での日本人の転身や強者へのへつらいが見て取れる。その様をして、筆者は「もともと人間は権力に寄りかかる動物だが、日本人にはその傾向が民族性といっていいほどに強い」と述べている。私としては、まだ少ししか読んでいないこともあって答えを出すのは避けたいところだが、一つ疑問に思ったことがあるので書いておきたい。それは、いわゆる「判官びいき」と「長いものに巻かれろ」という哲学の関係である。
「長いものに巻かれろ」が勝者・強者へのへつらいだとすれば、判官びいきは敗者への同情と言えるのではないだろうか。勝者の立場に入り込んで敗者を切り捨てるというのなら分かりやすいが、敗者への同情が共存しているという点でアンビバレンスな状態だと言えるだろう。とすれば、そういった状態はどのようにして生まれたのだろうか?また時代を経てどのように変化したのか、など色々興味は尽きない。
そして判官びいきという傾向を考えたとき、終戦によって手の平を返したように日本が否定されるようになったという現象はおもしろい(※)。というのも、勝者のアメリカにすり寄るのは「長いものに~」でわかるとして、敗者すなわち日本側に対する判官びいきが起きなかったようにも見えるからだ(あるいは判官びいきとは他者に対するものであって、自分を含む場合には適応されないのかもしれない)。いやもしかすると、様々な形で判官びいきは起こっていた可能性もある。とすればその顕れが、実は「日本政府=悪、兵隊・民衆=被害者」という(意識上の)構図だったのかもしれない。
色々と考えられるが、終戦によって変化したアメリカ軍と旧日本軍に対する態度、さらには勝者と敗者への相反するようなメンタリティーは、日本思想史を考える上でおもしろい問題かもしれない。
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源平や明治維新という事件において、義経や佐幕派に対する同情が見られたことからすれば、ここで旧日本軍に対する判官びいきが起こってもおかしくないように思える。
義経への判官びいきの成立は、同時代性を持っていたのか?歌舞伎として定着して以降の思想では?
思いつき その2
明治維新においては、庶民にとっての幕府・佐幕派ともに、どちらが為政者であっても変らなかった(「ええじゃないか」)という点から、新撰組などの過激派を抱える幕府側が、少なくとも京都では人気がなく、佐幕派が同情的に見られたという経緯が、同時代性をもって成立したと思われる。その際、判官びいきを行う庶民が直接的な被害をこうむっていないという点を重要視したい。
(権力に立ち向かうという図式は、化政期の文化を考えると分かるように、江戸期に好まれており、その図式に佐幕派を重ねてみていた可能性もある。)
思いつき その3
戦後すぐに判官びいきが見られなかったのは、前二者とは異なって、戦争が長引いたことによって戦争に対する直接的な嫌悪感が庶民の間にあったからでは?
結論
以上(思考まとまってないかも)の点から、判官びいきを行う庶民自体が、被害をこうむったと言う点が日本軍に対する判官びいきを発生させなかったと考えたい。なお今現在において、戦争を知らない(直接被害をこうむっていない)世代を中心に、二次大戦についての判官びいきともとれるような思想が成長しつつある点も見逃せない。
実家のパソからなので長文ですぜ(笑)
まあ、ドイツみたいにナチズムみたいなイデオロギーを掲げていた国が、首都が落ちて指導者が自殺するという結果に終わると虚脱状態で無抵抗になることは分かります。
日本のばあい「八紘一宇」なんていう理念はあとづけなので、信じている人は少なかったし、統治機構はそのままなので、敗戦による心理的ダメージは少なかったのかもしれません。
イラクの場合は、アメリカの理屈が後付けな上、あの破廉恥な行為を見たら、アメリカ軍が解放軍どころか、侵略軍に思えてきたというところでしょうか。
ほんと、1945年8月前後の日本人の心理状態は分かりにくい。(渡辺一夫の「敗戦日記」はそういう日本人を冷たく見ているので、普通の人の感覚に同調しない人もいたことは確かです。)