今日紹介するのは、以前書いた『リストランテ・パラディーゾ』の番外編にあたる『GENTE』。色々と人生の深みを思わせる登場人物ばかりで、しかも『リストランテ』ラストにおける休日の話(番外編)がおもしろかったことからすれば、この番外編が出たのは必然だったと言える。さて、やり取りの妙など作品そのものについては前回すでに書いたので、今回は個人的な方面について述べたい。
好きな絵と考えてすぐに思いつくく . . . 本文を読む
(作品の評価が自己の投影であることに気付かない)
先に述べた命名の独善性と繋がるのだが、共感や「感情移入」という反応を自明のものと誤解した時、その反応が自分(の願望)の投影であることにも気付かなくなる。そして、例えば作品にたいして否定的な反応を示した時、それはあくまで共感や「感情移入」できない作品のせいであって、自分の側に問題がある可能性を無意識に除外してしまうのである。なるほど経験による差異など . . . 本文を読む
共感の問題に関連して。
例えば自分の負の感情やマイナスの点について話すと、必ずと言っていいほど「そんなことはないよ」とズレたフォローをされるだけで、負の感情に関する考察には到ったためしがなかった。ところでフォローが必ず入るということは、フォローを求めていると思われているのに他ならない。つまり、「俺はこんなマイナスの感情や経験を持ってますよ。だから慰めて下さいね」と思われているわけだ。抑圧されが . . . 本文を読む
※食事中の人は読まない方がいいかも
以前自殺しないという発言は現在の願望を述べたに過ぎないと書いたが、こういう見方によって、ある過去の経験の謎が解明できた。
時は中学2年の掃除の時間。俺、友人×2(3人だったかもしれない)、教師(三年目)というメンツで、「極限状況で人を食べるか?」という話が持ち上がった。その中で、「食うんじゃん?」と言ったのは俺だけだった。他は教師も合わせてうそーんという感 . . . 本文を読む
「さよなら絶望先生」の第一集で、「不法入校・難民少女」の関内・マリア・太郎は「コノ国ノヒトタチ ミナトテモヤサシイ」と言いつつ、いくつかの例の中で「中身ノナイ歌デモ涙シテクレル」と述べている。この指摘が正しいとすれば、どうしてそういう現象が起こるのだろうか?思うにそれは、視聴者が歌や歌詞を聴きこむというより、「感動したい」という願望に突き動かされて曲を聴いているからである(※)。だからとにかく感動 . . . 本文を読む
さて、前回は主人公の名前を変えても作中人物に影響を与えない=一方通行であることを述べた。なお現実においては、自分の名前によって様々な局面で影響を被ることがあり、この図式は当てはまらない。また、植物に声をかけると反応するといった話が事実なら、動植物への命名なども無意味で一方的な行為とは言えないかもしれない。
とはいえ、こと虚構の世界(これまでの文脈から言えばゲーム)に関しては、たとえ主人公の名前 . . . 本文を読む
友人が脳腫瘍の手術で入院することになった。
こないだ帰省した時に聞いたのだが、随分と前から頭痛持ちで、最近それが余りに酷くなってCTを撮ってみたら、大きな脳腫瘍が見つかったとのことだった。今では流動食しか食べれない状態だそうな。
人間、何があるかわからないものだ。治らないわけではないが、後遺症が残る可能性はあるとか、本人はえらくあっけらかんと言っていた。
共同ブログのメンツとして、宗教やゲー . . . 本文を読む
ここ一週間は、まるで薄靄の中で生きているようなリアリティのないものだった。おかげで「ケーキとともに死ね」とか「ニーソクラテス(ニーソックスを履いたソクラテス)」とかいつにも増してわけのわからんネタ[?]が思い浮かんだりした。
今日の朝になってようやく頭がハッキリした感じが、そんな晴れの日曜日も仕事…orzまあ休憩時間にモラヴィアの『無関心な人々』を読み終えたのでよしとしよう(無関心といえば個人 . . . 本文を読む
今日は「何言ってんだこのバカは?」と思うような指示を下され、今までの例から考えてその方法は無理だと反論しても聞きやしない上司にキレる。キレてどうでもよくなり、命令どおりやる事にした(俺はキレた時、外に出すのではなく無関心になる傾向がある)。無茶な命令を何とかするのが社会人なのかもしれんが、どうもそこまで大人になりきれていないようだ…
そして案の定上手くいかなかった。でも、コーラを飲んだらゲップ . . . 本文を読む