A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

7) アユタヤへ

2011年03月24日 20時06分07秒 | タイ四都巡り
3月5日(土)午前中



早朝7時スコータイを出発
アユタヤまで観光バスで4時間ちょっと行程である。

タイ国に来てから昼・夜とタイ料理攻勢を受けているが
朝食だけは洋食が出る。
目玉焼き(もちろん卵2ツ)とカリカリに炒めたベーコン。
毎朝 誠にパッピーなことである。

道路事情は大変よく上下片道2車線真中には十分なグリーンベルト。
道端にバラックや露店がなければアメリカの西部をドライブしている感じだ。
街に近づくと片道3~4車線 渋滞は無い。



走っている乗用車・小型トラックは殆んど日本車
日本の道路より日本車比率が高い。

アユタヤの街に入ると「日本人街へ」と書かれた道路標識。
そうだここは山田長政がいた街なのだ。

アユタヤは14世紀頃に開かれ017世紀に
全盛を誇ったアユタヤ王朝の都。
最盛期にはアジア有数の日本人街もあり
日本人に馴染みがあるはず。

アユタヤの街に入ると丁度昼時
運河沿いの大きなホテルのレストランでランチ。
インターナショナル・フュッフェと云うことになっているが
どうもタイ料理が中心の様だ。
もちろん今は国際的にインターナショナル?になった
「ジャパニーズ・すし」もあるが食指が動かぬ。
またまたタイ料理で昼食を済ませる。











例によって少し長めの昼休み 
レストランの前の運河を行き交う貨物船を飽きることも無く眺めている。


2) チェンマイ・象園

2011年03月24日 10時01分35秒 | タイ四都巡り
3月3日(木)午前中




チェンマイの飛行場は典型的な昔の南方の飛行場。
我々のグループ・ツアー総勢24名 横付けのバス内で
現地ガイドと落ち合い早速観光に出かける。

午前中は3カ所の観光予定。
昨夜からデジカメの調子悪くバックアップに持ってきた
携帯電話のカメラを使用せざるを得ない。
うまく写ってくれると良いが・・・・

まず第一の訪問地はオーキッド・ガーデン
蘭と蝶で有名な庭らしい。







第二の訪問地
エレファント・キャンプ
ブルドーザーが無い時代には象が労働力だった。
ここはその象のトレーニングセンターだった。




象さん達の顔見世。
御客様への御挨拶。
御客様との御面会と同時に御客様よりバナナなど頂ける。





餌売りの小母さん達





顔見世が終わって水浴びタイム
体を洗うのと同時にトイレタイムでもある。
天然のウオッシュレット。















象さんはサッカーが大好きです。写真には写っていないが
物凄いPK合戦、特大のサッカーボールなので迫力満点。

持参デジカメ故障で慣れない携帯のカメラなのでうまくカメラ操作が出来ない

インド象に比べるとタイ象は頭部が大きいそうだ。
その分 脳みそが大きく賢いそうだ。

御絵描きタイム。
驚いた、本当に象さんが絵を描くのだ。
筆に絵の具をつけるのは係りの人がお手伝いするが後は全部象さんの仕事。
描かれた絵も様になっている。驚きである。







一点2000バーツなので約6000円で売っている

人間でもこんなに上手に描ける人は少ないだろう


最後が30分ばかり象さんの背中に乗って御散歩。
アンコールワットでも象に乗ったが正直物凄く「乗り心地が悪い」。






第三の訪問地
首長(くびながぞく)族の村落を訪問。
タイとミャンマーの国境付近の山峡に住むカレン族は
別名首長族ともいわれ、首が長いほど美人だと云われている。
永年に亘る国境周辺の争いに、国連から難民としての保護を
受けているが充分ではなく、山間から低地に降りて
30から40位の家族が藁ぶきの家を建て、難民村(難民キャンプ)を
形成している。
その内の一つ、チェンマイ北方の村は入園料500バーツ(1500円)を
取って、カレン族の生活を見せている。
この入村料はカレン族全体の維持に役立てているそうだ。







カレン族の女は3歳、5歳位から職として糸を紡ぎ、染め,機を織り
カレン族独特の美しい衣裳をつくっている。
銀細工にも特異な技を持ち、首飾りや腕輪などを作っている。

この村でもそれらの品を売って、
これもまたカレン族全体の維持に役立てているそうだ。





テーブルセンターの何枚かを求め,可愛いらしい少女との
写真を撮らせてもらった。


昼食は中々良さそうなホテルだ。
昼間は暑いので昼休みを長くしている。
ホテルのガゼボでまどるむ。
写真の花の名はダラ(学名・ヘリコニア)





午後3時頃から午後の観光は始まる。