冬の寒さに耐えながらもぐいぐいと読み込んだのが、関裕二さんの古代史シリーズの著作(『天孫降臨の謎』『出雲抹殺の謎』『なぜ日本書紀は古代史を偽装したのか』『古代史の秘密を握る人たち』『おとぎ話に隠された古代史の謎』『蘇我氏の正体』)だった。
歴史って、つい年表の表面だけを追って事足りとして、いつのまにか自分も歴史の表層に巻き込まれている現実がある。
邪馬台国からヤマト朝廷成立までの歴史的空白を埋め、『日本書紀』が著わす歴史の改ざんを暴こうとするのが作者の意図である。
私が注目している哲学者の梅原猛さんが歴史界に提起した「祟り」の思想、伝承の捉え返しなどは、関さんと共通するものがあるのが発見だった。
「出雲」を抜きに古代史・ヤマトは語れない。
博多で勢力のあった「安曇族」が長野に逃れたのも、ヤマト成立、出雲抹殺と関係しているのかもしれない、という発見もあった。
古代史ミステリーの探求は、現代史への問いでもある。
バーチャルな世界に魂を奪われた現代にこそ、なにが本当のことなのか、物知りの歴史ではなく、自らの生き方・世界観を問う歴史との向かい合いが求められている。
歴史って、つい年表の表面だけを追って事足りとして、いつのまにか自分も歴史の表層に巻き込まれている現実がある。
邪馬台国からヤマト朝廷成立までの歴史的空白を埋め、『日本書紀』が著わす歴史の改ざんを暴こうとするのが作者の意図である。
私が注目している哲学者の梅原猛さんが歴史界に提起した「祟り」の思想、伝承の捉え返しなどは、関さんと共通するものがあるのが発見だった。
「出雲」を抜きに古代史・ヤマトは語れない。
博多で勢力のあった「安曇族」が長野に逃れたのも、ヤマト成立、出雲抹殺と関係しているのかもしれない、という発見もあった。
古代史ミステリーの探求は、現代史への問いでもある。
バーチャルな世界に魂を奪われた現代にこそ、なにが本当のことなのか、物知りの歴史ではなく、自らの生き方・世界観を問う歴史との向かい合いが求められている。