天竜の要衝「二俣」クローバー通り商店街活性化の「蔵シック」イベントに行く。
あいにく、どんよりした天気と学校行事とかちあって、お客はまばらだった。
二俣地域にならぶ蔵の象徴がこの「ヤマタケ」の蔵だ。
大正12年(1923年)にたてられた蔵で、材木や繭などを扱っていた商社の名残だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/91/f3cff7d75a7b1805ee9a226016795360.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d8/da3488a31ecb496e4c2ee70dba9c3055.jpg)
メインの蔵に入ってみる。
天井の梁の太さが半端ではない。
内部には小さいサイズの畳が敷かれてあったが、それが当時としては珍しいという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a6/b8146ce2f628e8a5f5a9febe90f81abf.jpg)
2階の窓から外を見ると広場でフリマ開催の活動が見えた。
2003年以来、二俣の「おかみさんの会」が春秋に商店街活性化のために開催している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/23/3fac3d084359cfba8dfe09fd908808c1.jpg)
手打ち蕎麦を食べて昼食とした。
商店街の女性パワーに比して男どものパワーはどこにあるのだろうか。
軽トラック市もお客がまばらで可愛そうなほどだったので、閉店間際ヤマメの塩焼きを買ったら安くしてくれた。
イベントの運営維持に消耗されて、次の戦略をねらう意志を持つ軍団が必要に思う。
つまり、黒田官兵衛の存在が欠かせない。
これは里山をかかえる中山間地にとっても同じことが言える。
危機意識を楽しく具体化する想像力が試される。
あいにく、どんよりした天気と学校行事とかちあって、お客はまばらだった。
二俣地域にならぶ蔵の象徴がこの「ヤマタケ」の蔵だ。
大正12年(1923年)にたてられた蔵で、材木や繭などを扱っていた商社の名残だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/91/f3cff7d75a7b1805ee9a226016795360.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d8/da3488a31ecb496e4c2ee70dba9c3055.jpg)
メインの蔵に入ってみる。
天井の梁の太さが半端ではない。
内部には小さいサイズの畳が敷かれてあったが、それが当時としては珍しいという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a6/b8146ce2f628e8a5f5a9febe90f81abf.jpg)
2階の窓から外を見ると広場でフリマ開催の活動が見えた。
2003年以来、二俣の「おかみさんの会」が春秋に商店街活性化のために開催している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/23/3fac3d084359cfba8dfe09fd908808c1.jpg)
手打ち蕎麦を食べて昼食とした。
商店街の女性パワーに比して男どものパワーはどこにあるのだろうか。
軽トラック市もお客がまばらで可愛そうなほどだったので、閉店間際ヤマメの塩焼きを買ったら安くしてくれた。
イベントの運営維持に消耗されて、次の戦略をねらう意志を持つ軍団が必要に思う。
つまり、黒田官兵衛の存在が欠かせない。
これは里山をかかえる中山間地にとっても同じことが言える。
危機意識を楽しく具体化する想像力が試される。