初老の隠居から夏の宿題として渡された本、江馬修(エマシュウ)『山の民 上・下』(春秋社、1997.6)を読む。
明治維新直後、実際に起きた飛騨の農民一揆=「梅村騒動」をベースにした歴史小説だ。
作者の実父も行政側の当事者であったことから、当時の明治新政府の「御一新」の動きと農民との矛盾・葛藤のそれぞれを、江馬修は直接聞ける環境にあった。
以前、隠居から指定された図書、帚木蓬生の『水神』『天に星 地に花』のテーマと同じだっただけにその相違点も興味深い。
さらにはこの小説は、大岡昇平が「わが国で書かれた最もすぐれた歴史小説ではないか」と称賛し、島崎藤村の『夜明け前』に匹敵するほどのスケール・考証の精密さがあると、高く評価した。
特高に捕まり留置場生活も経験した江馬修だったが、反体制作家が陥りがちな「支配・被支配の図式」ではなく(尾崎秀樹・文藝評論家)、農民と支配者それぞれの矛盾をリアルに描いていった手法がとても新鮮・秀逸だった。
奇跡的に、江馬修の父は偶然にも生存していたので当事者情報が確保できたのだ。
作家の関川夏央の評価も「改革とは何か、進歩とは何か、歴史とはそもそも何か、それを考えさせる材料がここにはある」と指摘する。
20代後半に知事になった梅村速水の急進的な改革とそれに恐怖・齟齬を感じる農民との確執は農民一揆に発展するが、結果は、両者関係者の獄死に至る。
ただし、作者は農民側の貧農だけが捕縛(のちに牢死)されたことを最後に書き入れているが、そこに作者の抑えた怒りがふつふつと伝わってくる。
その意味で、江馬修が農民・山の民の視点に基本的に立っているという点では、「藤村・蓬生」の中間層からの描写を超えている。
江馬修の命がけの傑作・執念にもかかわらず、残念ながら文壇からも世論からも黙殺されてしまっているのが惜しい。
また、歴史的な引用文献が多くて読みづらいのも現代の読者にはハードルが高いのかもしれない。
「新刊だけが出版の仕事ではない。残る本、残すべき本を再刊するのも、その仕事であり義務であるだろう」という出版社の在り方についての関川氏の指摘に共感する。
夏の宿題はなんとか滑り込んだが、まだ次の宿題が残っている。いつになることかー、隠居の厳しい叱咤の声に震えるばかりだ。