アルプスのハイジに憧れた娘と日本の風土にあった酪農をめざした青年が結婚する。二人は理想を実現すべく岩手・田野畑村の起伏の多い急傾斜地を開拓し、外国産の飼料や薬品に依存しない日本産の「シバ」中心の酪農に挑戦する。その結晶がこの「山地(ヤマチ)酪農牛乳」だ。
厳しい東北の自然と急峻な放牧地で育った牛の牛乳は確かに旨みがあった。「山地酪農農法」の提唱者の楢原恭爾(ナラハラキョウジ)博士は、「山地酪農は新規異質の農業である」と孤立無援の覚悟を込めた研究結果を発表する。急傾斜地を日本産のシバの草地にする。そこに乳牛を放牧し「牛乳」という価値高い食料を生産する。それは誰も取り組んでいなかった異次元の農業だった。
それを都会育ちの若い二人は、砂をかむような悪戦苦闘を1973年(昭和48年)創業して以来、子どもらも担い手となってやっと実現していく。若い二人の黒髪は今では真っ白になってしまった。いまだ試行錯誤でなんとか安定してまもない農法だが、従来の酪農概念を変える取り組みだ。楢原博士が「農業であれ、酪農であれ、それが人間の真の豊かさへ向かっていなければならない」という提起が根底にある。
海風の「やませ」によるミネラルたっぷりの野草は牛の糞尿からも栄養を貰う。餌はこの野草だけなのでミルクの生産量は普通の三分の一しかできない。「すべては人と乳牛の健康のため」というこだわりは、牛乳だけでなくチーズでも2019年のJAPAN大会のグランプリを獲得する。さっそくオイラも牛乳とヨーグルトを通販で送ってもらう。「自然には足さない引かない」酪農を自負する、応援したい有意の人がその山地にいた。