午前中の手術前、和宮様は覚悟を決めていたようで元気だった。午後1時前に手術室へと入っていったときはさすがに心細かった表情をしていた。オイラが「居直って楽しんでください」と激励のつもりの言葉は居場所がなくて宙に浮いてしまったようだ。
午後5時過ぎに、手術が無事完了したとの知らせがあった。病室には酸素吸入のマスクをした和宮様が横になっていた。「まもなく麻酔がきれるらしいが意識はまだ朦朧としているはずだ」と言われたが、看護師さんの声かけはわかっていたようだった。腰の骨の一部を首の骨に移植する大手術だった。術後は、首より腰骨付近のほうがけっこう痛いらしい。
おでこや両手を触ってみるとやや汗ばんでいたので、乾いたタオルで拭いておく。帰り際に「また来ますからね」というと、「ありがと」と言ったようだったが聞き取れない。なにしろ、喉側からメスが入ったのだからしばらくふだんの会話はできなさそうだ。
病院はキリスト系だが、職員はしっかり訓練されている気がする。利用者の立場を大切にしようとする配慮がある。オイラが癌で通院していた時の公立病院では検査をはじめなんども通わないと先に進まなかったが、ここでは一気にやってくれるのが素晴らしい。
日本のキリスト教系の病院は各地で目立つが、日本の仏教や神道の病院はどのくらいあるのだろうかを考えさせられた。治療より信仰が大事ということなのか。日本の宗教界の情けなさがそこにある。そのことでは、言いたいことがいっぱいあるがいまはやめておく。
病院の駐車場から見た風景は夕陽が沈もうとしていた。「和宮様、これからが正念場ですぞ」