山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

山里の美人馬頭観音

2012-03-11 20:48:49 | 石仏・石造物
 天空の里、春野町胡桃平の道端に二体の馬頭観音がひっそりたたずんでいた。
 昔は隣の森町へ抜ける道で、馬車の往来があったようだ。
 森林王・金原明善もこのルートで森町へ馬車で行ったかもしれない。
 馬の供養や旅の安全を祈願した場所である。

 観音が持っているのは柄のついている「柄香炉」。
 蓮の花模様のある柄香炉のようだ。
 大正12年に古い馬頭観音のかわりに設置されたとのことだ。

                 

 古い方の石仏はバギーガールではありません。
 やはり、馬の耳なんでしょう。
 このての馬頭観音は蓮華のツボミをもっていることが多いのですが、破損されていてわかりません。

 破損してもなんとか保存し、また新しい観音も補充するという、村人の優しさが伝わってきます。

 東北大震災1年目。
 むごい運命をにらんで観音様に合掌。
 

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都会に生き残るハンノキ

2012-03-10 20:57:09 | 植物
 都会の路地裏探検でポツンと孤立した「ハンノキ」を発見(カバノキ科)。
 林立する瀟洒な建物群に圧倒されながらもなんとか永らえている一本の樹。
 きっと、まわりからは注目されていないくらい地味だ。
 つまりオイラみたいなもんだ。なるほど。

                 

 ここは昔、里山であり、谷側であったことをハンノキは証言している。
 ハンノキは湿地を好み、田んぼの近くにもよく見られた木だ。
 密集する住宅街の坂道でハンノキがあるなんて久しぶりの大発見である。
 ひょっとするとむかしはここらに小川が流れていたかもしれない。

                    

 ハンノキは「ヤシャブシ」とそっくりだが、実についている柄があることで見分けられる。
 ヤシャブシは柄がない。

 雄の実はひょろひょろ長くて木の下に落ちて踏んづけられる運命だが、雌の実は染料(タンニン)やアレンジメントに使われたりして用途が広い。
 やっぱり。
 
                   
 
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防寒のビニールフィルムを外してみたら

2012-03-09 20:16:12 | 農作業・野菜
 野菜の防寒のためにビニールフィルムは大きな役割を果たしてきた。
 風に飛ばされないための手間はずいぶんなものだった。
 外から見ると透明ではあるが、結露していて野菜の様子がわかりにくい。
春の到来を前に防虫網やビニールフィルムをオープンにした。



  残念ながら、キャベツは「軟腐病」らしきものにかかっていた。
 出だしが好調だっただけに残念。
 本来なら12月に収穫の予定だったが結球が始まったまま冬を迎えてしまったのだ。
 
 同時に晴れの日は、ビニールフィルムに密閉されて、蒸れてしまったようだ。
 そのため、「軟腐病」が発生し伝染してしまったようだ。
腐った部分を取り除くと食べられる部分は半分くらいになってしまう。




 いっぽう、ソラマメは順調な生育をしていてトンネルが狭いとブーイングだ。
 すでに花をつけている。

 今回はじめてビニールフィルムを多用したが、成果も多かったが宿題も少なくない。
 当り前に野菜が育つのは難しいということがわかる。
 「スーパー」に買い物に行ったときは野菜を前に感動する。
 百姓の研究心・技術力に脱帽する。
                
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食べきれない野菜を流通にのせたいなー!?

2012-03-08 20:05:05 | 農作業・野菜
 一人暮らしの隣人が久しぶりに畑で汗を流していた。
 「これからジャガイモやナスの畝を作るので、植わっている大根・ホウレンソウ好きなだけ持っていきな」と言う。

 言われるままそこそこと、小振りの大根20本強、ホウレンソウひと抱えをいただいた。

 野菜が高騰しているというのに食べ切れなくて処分に困っている、かような農家も少なくない。
 わが家でもときどき同じようなこともあり、近所や友人にどんどん配ったりすることも多い。
 同じ集落の中でも、同じ現象がある。
 もったいないことだ。

 もちろんかたちは規格外になりそうなものばかりだ。
 というのも、みんな自家栽培用だからだ。
 もちろん、農薬の使用は少ない。
 しかも、味はスーパーとそうそう大きな違いはない。

 こうした野菜を流通に乗せれば、生産者も消費者もプラスになることは間違いない。
 地方での「野菜直売所」が俯瞰的にみれば大きな市場となっているらしい。
 これをもっと零細農家の余剰野菜を結集すれば、零細農家の生きがいにもつながる。

 うまい方法はないものかなー。
 四国の上勝町のような「葉っぱビジネス」のようなイメージを妄想する。

 
 
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今年初めての畝づくり ジャガイモだよ

2012-03-07 19:23:48 | 農作業・野菜
 野菜のテキストでは2月がジャガイモの植えどきということだが、わが地域では3月に入ってから。
 というのは、若芽が霜でやられてしまうからだ。

 ジャガイモは連作をきらう。
 したがって、畝をズラして畑を作る。
 一日がかりだ。
 
 最低、もう2箇所くらい新たな畝を作らないと間に合わない。
 農作業は楽しいが、畝作りに追われているのも現実。

 シイタケの菌打ちもそろそろで、ほだ木を道草山から運搬しなくちゃね。
 杭を打つ「かけや」が壊れて中断している道草山の道作りもあと半分。
 防寒のためのビニールフィルムをそろそろはずさないと苗が蒸れてしまう。
 という具合に、やるべきことが山積している。

 「きっぱりと冬が来た」(高村光太郎)ではなく、「ほんわりとバタバタ春が来た」。
 
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春がフキノトウにやってきたよ

2012-03-06 19:09:08 | ポエム
 冬枯れの畑からポコリと、フキノトウが顔を出したよ。
 町ではとっくに背を伸ばしているというのに。
 ついにここまで来てくれたんだ。
 一つ見つけたら 畑のあちこちからあいさつに来たよ。

 春はいち早く フキノトウにやってきたんだね。
 「これから大挙して春がやってくるからね」というお知らせなんだ。
 温かい突風に乗ってやってきたから とびきり早いんだ。

 冬枯れの畑からポコリと、フキノトウが顔を出したよ。
 「武兵衛さん 炬燵から這い出て そろりと春モードに切り替えるんだぞー」
 とね。

 

 
 
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からだに優しい有機ほうじ茶

2012-03-05 20:10:12 | 特産品・モノ
 暴飲暴食やコーヒー・濃厚茶の飲みすぎのとき、「ほうじ茶」がいい。
 夜、胃に負担かけたくないときもいい。

 しかも、化学肥料・化学農薬不使用の「有機JAS」認定を受けているマルセン砂川共同製茶組合のお茶だ。
 個人ではなく組合で有機茶を生産しているところが優れている。

 オイラと同じころ愛知からやってきた若手のホープ「宇野茶園」で買ったもの(真空パック詰め)だが、同組合でも春野茶を全国に出荷している。
 デザインはその若奥様の手によるもの。
 地域の特徴がデザイン化されている。

 ほめ殺しではないが、地球にも胃にも優しいほうじ茶を飲んで、心も優しくなろうーっと。
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祖霊舎が山里の廃屋で留守番!?

2012-03-04 21:08:23 | 歴史・文化財
 山深い眺望の良い春野町の廃屋で「祖霊舎」らしきものを見た。
 神道では死者の魂は子孫を見守るものとして家に残り、「霊代(ミタマシロ)」という位牌(仏教でいう)のような器に移され、この神棚に納められるという。

 現在この立派な家屋敷を守っているのは、この小さな「祖霊舎」だけである。
 これが玄関頭上に配置されるべきものかは定かではないが、とりあえずそれで荒廃を防ぎ、静かなたたずまいと威厳とを保持している。



 街なかではこうした標識を見ることはなかなか少なくなった。
 時代という押し寄せる波は、ときに津波となって過去を清算してしまう。

 そんなときどういうものを構築するべきかが我々に問われている。
 それを受け止められる感性を研かなければならない。
と思いながら、きょうもよだれをたらしながらうたたね寝をしてしまう。
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今 和次郎の「考現学」が新しい

2012-03-03 00:48:36 | アート・文化
 テレビで今、「なにこれ珍百景」という番組をやっているが、それより以前に、赤瀬川原平や南伸坊らアーティストらが「路上観察」(トマソン)で珍風景を紹介していたことがあった。
 それを促したのは戦前から活躍していた今和次郎(コンワジロウ)でもあった。
 本人は庶民の生活を克明に実証調査していたのだが。
 おしめの柄描写、食堂の食器のひび一覧、公園の自殺者の場所図絵、主婦の台所動線図、通行人の持物調査など。
 
 オイラもそれらに影響されて、以来スカシブロックや路上観察・路地裏探検を忘れていない。
 ちょうど、新橋で今和次郎のギャラリーをやっているのがわかり、急遽見に行った次第。
 行ってみて、今和次郎は想像以上に守備分野が広く深いのが分かった。

 建築・デザインの草分け的存在だけでなく、東大セツルメントと連動して民衆の生活改善や東北人の自然(災害)への取り組みも調査している。
 しかも緻密なデッサンはまさにアートそのものだ。

 素晴らしいと思ったのは、建築家らがかもしだすエリート目線ではなく、民衆と同じ目線であろうとしたところである。
 今和次郎は民衆と同じようなジャンバーを着ながらスケッチや調査をしていたという。
 来場者の多くは背広・ネクタイのいかにもその筋の人が目立つ。
 貧民窟・戦後のバラック・東北の冷害災害被害・寒村の民家などにも積極的に立ち至った姿勢に、あらためて覚醒される思いだ。

 それは柳宗悦(ヤナギムネヨシ)らの民芸運動にも通底するものがある。
 「考古学」ではなく「考現学」という視点を拓いたところが素晴らしい。
 庶民の目線からブレないことが今日の閉塞を脱皮する鍵である。
 
 
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路地裏探検 石地蔵三体の巻

2012-03-02 13:52:31 | 石仏・石造物
 都会の瀟洒なマンションやアパートのかたわらに、なんとか存在を死守している石仏がある。
 屋根の中にあるのはそれだけまわりの信心やつながりが深いということにちがいない。

          

 いかにも円満そうな地蔵菩薩に、カラフルなおべべがお似合いでござる。
 高さは立派なもので、いまだに心をくだいてくれる地元の人がいる。

                 

 板碑状の石に彫られたお地蔵さんの素朴さがなにより。
四角い板碑に彫られているのが珍しい。

                          

 左手に赤ちゃんを抱えているのだろうか。
 右手は錫杖のようだ。
 座っているお地蔵さんは少ない。
 丸型の光背らしきものがなんとかついている。

 朽ち果てそうな3体のお地蔵さんは往時の悲喜劇をふまえ、表情を越えて土くれになろうとしている。
 お地蔵さんは人間のつながりが遮断されていく今をどのように見ていらっしゃるのだろうか。
 
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