前回に掲載した福厳寺さんの階段南側にある、今回は日露戦役による戦死者の墓碑です。内容はそれほど難しくないので、この碑文の一部について気になるところを記してみましょう。その1.「還會優勢之敵遂殪」=帰隊時に優勢の敵に出会い、倒れる(死ぬ)。その2.「感歎不措」ですが、これは「感歎不知所措」で、「歎き悲しみつつも、褒め称えるところを知らず」という意味になります。※掲載した石造物調査原簿(調査年月日)のnoが間違っています。正しくは、20170709-1です。
今日は、八月五日に調査した、百姓一揆の義民、堀江六之蒸の銘文清書をする予定です。昭和五年建立の碑文なので、難しい所がないので、順調に進むことでしょう。これも銘文が清書終わったら、何しろ江戸中期の百姓一揆の内容なので掲載しようと思っています。(写真は以前に掲載墨です。念のため)
朝は、旧盆前に種を蒔いたダイコンが芽を出して大きくなったので、雨に倒されぬようその土寄せをしましした。何しろ毎日雨ですから、そうしないと倒れて泥に汚れてしまい、病気発生の要因になるので‥。通りがかりの人は、随分と早く種を蒔いたのですねと皮肉られるが、今年のような天候不順な年は、昔からの言い伝えで「豆と大根を少し多めに早く蒔くこと」と言いますからね。