これは、8月五日に碑面の掃除だけをし、それを8月20日にはるばる足利市まで手拓しに行った石碑です。現地に8時半に着き、早速に手拓開始。そして水張りを始めたところ、碑面の凸凹に悩まされる。どうしてもシワが生まれてしまい、四苦八苦するも最後まで右下部分のシワをとることが出来ぬまま、諦めて墨入れする。ところが今度は、最下部の文字と台座が近づきすぎていて最下段の文字列は綺麗に墨入れ出来ない。時間ばかり経過してイライラしている所へ、佐野市在住の山口氏が突然に現れる。足利市内に用事があったついでに、様子伺いにやってきたと云うのを幸いと、銘文手拓最後となる3枚目は彼にお願いして採ってもらう。仕上がりは、銘文文字の1文字ごとのエッジの水張りが上手で、私よりも文字を汚さずに手拓してくれた。感謝感謝である。お陰で私は休憩は出来るはで、おお助かりだった。最後の篆額部分を私がして、この石碑の手拓が終わったのは12時半近くとなっていた。途中での雑談時間があったとは云え、半切画仙紙4枚の手拓に、結局は4時間も掛かったことに苦笑するのみである。山口氏と別れてから、独りで昼食時間兼休憩時間。隣りの石碑は、これよりも大きく2メートルを超えている。今日は気分が乗らないので、ここまでで終了にしようかと思ったが、遠路から来て目の前に洗った石碑を残して撤退する侮辱感に耐えられず、結局は午後1時から気合を入れ直して手拓開始。手持ちの画仙紙では、そもそも長さが70センチ近く足りないので、上部の篆額を含めた位置から手拓し、下部の足りない銘文箇所を追加手拓とすることにしたが、篆額上部に画仙紙を貼り付けるのに背伸びしてやっと届く。その足元は苔が張った石で、しかも濡れているので滑ること危険この上なし。勿論、脚立は持ってきたがとてもそれを設置できる状態ではない。そして次の二枚目の画仙紙水張り。ここで、大きな間違いをしてしまう。それは、つなぎ目の文字は2文字をダブらせて手拓するのが常だが、上部の篆額から水張りするときに目測を誤り、つなぎ目に必要な文字がかろうじて半分だけとなってしまっている。しかもしそれに気づいたのは篆額部分の墨入れを終えて銘文箇所に入って、暫くしてからという有様。今更やり直しする気分にはなれず、急いで最初に採った画仙紙を確認しに行くと、何とか文字同士で繋げれば大丈夫と判ってそのまま2枚目を終了する。最後の三枚目に入る段階で、既に午後3時を過ぎている。少なからず焦り気味に水張りして墨入れが終わったのは午後4時半だった。急いで撤収作業に入り、一休みしたいところだが、それは帰路の車中で取る事にして5時少し前に現地を離れる。二基目の手拓は、半切画仙紙で4枚半。都合、今回の手拓枚数は8枚半となり、正味7時間半で仕上げたのだから、まあ私ののろまな作業では仕方ないかと納得する。
ところで、今年の8月も、今度の週末で終わり!。そして今年最後の暑さが戻ってきたようなので、私の出番はないことにして、その分を拓本のパソコン取り込みやら銘文清書に費やそうと思っている。