一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

猫山 ……遠い夏の記憶 谷間のゆりと砲台跡……

2009年08月27日 | その他・佐賀県外の山
実家のある佐世保にいる時、3時間ほど時間ができた。
隠居岳や烏帽子岳に麓から登るには、ちょっと時間が足りない。
さて、どこに行こうか。
私がかつて通った小学校の裏手に、「猫山」と呼ばれている小高い土地があった。
そこが山なのか、単なる土地の名前なのかいまだに分からないのだが、かなり広い範囲にわたって「猫山」と呼ばれている。
麓に「綿津美神社」の古い社があるのだが、ここが日宇村猫山免の氏神さまで、これが「猫山」の由来のようだ。
少し離れた場所に「猫山ダム」があるが、これは私が子供の頃にはなかった。
高校を卒業する頃に完成したのを覚えている。
小学校の裏手から入って行った谷間には、昔はほとんど人家はなかった。
だが、昭和40年代の頃から家が増え始め、谷は切り崩されて、今はもう昔の面影はほとんどない。


小学生の頃は、この谷間を通って山に入り、砲台跡で遊び、堤で泳いだりした。
山には、戦争遺跡とも言える佐世保防空砲台の「猫山防空砲台跡」があり、ここが私たち子供の遊び場だった。
高校を卒業し、佐世保を離れてからは、この「猫山防空砲台跡」には行ったことがなかった。
今日は、ここを訪ねてみようと思った。

今では人家が密集しているかつての谷間を抜け、少し登ると道標があった。
この道標も昔はなかった。
ここから右折すると隠居岳に通じているらしい。
「猫山防空砲台跡」へ行くにも右折するのだが、この道が隠居岳へ通じているとは知らなかった。


しばらく登り、町を見下ろすと、谷間らしい地形が現れた。
昔の面影が少しだけ残っている。


高校1年生の夏休み、私はバルザックの『谷間のゆり』を読んだ。
この16歳の夏、私は実に多くの本を読んだ。
高校に入学し、いろいろな土地から来た同級生と話すうち、私以外のクラスメイトが本をたくさん読んでいるのに驚かされた。
隣り座った男子生徒から、「これは僕が書いた小説だけど、読んでくれないか?」と言って原稿用紙を手渡された時は、驚愕した。
本を読むだけではなく、小説を書く人物までいたのだ。
小学、中学と、遊んでばかりいた私は、そのレベルの違いに愕然とした。
同級生と話をしていても、まったく話が合わない。
それまでほとんど本など読んでいなかった私は、猛然と本を読み出した。
一日一冊をノルマにして、名作と呼ばれているものを片っ端から読んでいった。
バルザックの『谷間のゆり』は、旺文社文庫で読んだ。


この時期の私のお気に入りは旺文社文庫で、文庫ながら箱に入っているのが特長であった。
解説が他の文庫より丁寧で、やさしく書かれているのも良かった。
『谷間のゆり』を読み、私はたちまちその物語にのめり込んだ。
不幸な少年時代を送った青年フェリックスは、舞踏会で初めて出逢った貴婦人・アンリエットに熱烈な恋心を抱く。
しばらく後、フェリックスは、アンドル川の谷間にある館で数ヶ月を過ごすことになる。
偶然、この谷間には、あのアンリエットが住んでいることを知る。
もと亡命貴族で、気難しいモールソーフ伯爵の夫人であり、病身な二人の子供の母親でもあったアンリエットは、満たされない結婚生活に悩みながら日々を送っていた。
フェリックスの愛の告白に、あくまで母のような、精神的な愛をもって応えようとするアンリエット。
しかしその心の奥底には、はげしい愛欲が秘められていた……という物語。
『谷間のゆり』を読了後、私が思い出したのは、この小学校裏の谷間だった。
私が高校生になった当時は、この谷間には新しい家がもうかなり建っていた。
その新しい家のひとつに、町で評判の美しい少女が住んでいたからだ。
それはまさに「谷間のゆり」と表現するにぴったりの美しい少女だった。
そんなことを思い出しながら歩いていると、白い百合の花がたくさん咲いているのに気づいた。
帰化植物のタカサゴユリのようだ。


道は分岐点に差しかかった。
下から上がってきて、まっすぐ行くと隠居岳。
砲台跡へは、この分岐から左折して登って行く。
実は、最初この分岐を直進してしまい、途中で間違いに気づき、引き返してきたのだ。
ここに来るのは数十年ぶりなので、記憶があやふやだった。


この辺りまで登ってきて、昔の記憶が少し蘇ってきた。


ヌスビトハギなどの花を愛でながらゆっくり登る。


道を外れ、下に降りてみる。
「あった!」
昔よく泳いだ堤だ。
今は水は濁り、泳げるような状態ではない。
昔の方がずっと美しかったような気がする。


道に戻り、しばらく歩いて行くと、右手に穴のようなものが見えた。
砲台の施設の一部であったのだろう。


左手には、沼が見えた。
昔は、美しい池であったのかもしれない。


さらにしばらく歩くと、右手に階段が見えた。


その荒れた階段を登ると、建物跡があった。
何の建物があったのだろう。


階段を下りると、城壁のような立派な石垣があった。
昔はこの辺りで遊んでいた筈なのだが、まったく記憶になかった。


ここから先は、道はさらに荒れていた。


そして行き止まりに……


今日は、ここで引き返したのだが、砲台跡はまだたくさんあるようだった。
いつかまた来てみたいと思った。
猫山の山頂があるのなら、そこへも行ってみたい。
猫山から下りてきて、実家に戻る途中、隠居岳の方を見上げた。
変哲もない風景なのだが、私にとってはかけがえのない風景である。


佐賀に戻ったら、バルザックの『谷間のゆり』を久しぶりに読んでみようかと思った。

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