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猛威を振るう新型コロナウイルスの第4波の影響で、
新作映画を見ることができない状況が続いているため、
その臨時対応策として、
ここ数年の間に公開された映画で、
佐賀県では上映館がなかった等の理由で見ることのできなかった作品を、
TSUTAYAやネット配信を利用して見ることにした。
「見たかったのに見ることができなかった映画」の、
自宅鑑賞・第1弾として、5月1日に『恋恋豆花』のレビューを書いたが、
本日は、その第2弾として、
『イーディ、83歳 はじめての山登り』(2020年1月24日公開)のレビューを書こうと思う。
原題は、『Edie』と主人公の名のみで、
題名だけでは何の映画か判らないが、
邦題が、『イーディ、83歳 はじめての山登り』となっており、
ちょっと説明過多のような気もするが、
山登りが好きな人にとっては、とても魅かれる題名であった。
はたしてどんな映画なのか?
ワクワクしながら鑑賞したのだった。
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ロンドンで暮らすイーディ(シーラ・ハンコック)は、
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30年間にわたって夫の介護を続けてきたが、
娘にはその苦労を理解してもらえず、
老人施設への入居を勧められている。
そんなある日、
イーディはフィッシュアンドチップス屋の店員のふとした言葉をきっかけに、
かつての夢だったスコットランドのスイルベン山に登ることを決意。
夜行列車でスコットランドへ向かった彼女は、
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偶然知り合った地元の登山用品店の青年ジョニー(ケビン・ガスリー)をトレーナーとして雇い、
山頂を目指すための訓練を開始する。
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誇り高く頑固なイーディは、
ジョニーと衝突を繰り返すが、
彼の丁寧な指導のもと多くのことを学び、
人に頼ることの大切さに気づいていく。
ついに準備を終え、
念願のスイルベン山に挑むイーディだったが……
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『イーディ、83歳 はじめての山登り』というタイトルからして、
ちょっと明るめの、前向きな老人の物語かと思いきや、
かなり暗めの、後悔ばかりしている後ろ向き老人の物語で、
特に前半は、見ていて鬱々とした気分になってしまった。
とにかく主人公イーディの表情が暗い。
性格も暗い。
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長年、夫の介護をしてきたという過去がそうさせたとも言えるが、
同じような人生を歩んでも明るい人はいるし、
すべてが過去の所為とも言えないだろう。
娘との仲違いも、
夫や子供に対する不満をぶちまけていた日記を読まれたことが原因で、
「日記は誰かに読まれることを前提にしていないし、心の内を正直に書いていただけなの」
と言い訳して、火に油を注いでしまう。
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以前、『さざなみ』という映画のレビューで、私は、
このブログを読んで下さっている読者の中には、
すでに断捨離を終えた人も多いことと思う。
断捨離をしている最中に、
昔の恋人の写真や手紙が出てきて、慌てふためいた人もいることだろう。
こういったものは、真っ先に処分しておくべきである。(笑)
夫が亡くなったあとに、夫が大事に仕舞っていた昔の恋人の写真や手紙が見つかり、
「夫と同じ墓には絶対に入らない!」
と妻に言い出されでもしたら(実際例を知っている)、哀れである。
〈そんな昔の写真や手紙に嫉妬する女なんかいないだろう?〉
と思っている人がいたとしたら、
「甘い!」
と言わざるを得ない。
そんな人には、本日紹介する映画『さざなみ』(2016年)がオススメだ。
長年連れ添った夫婦の関係が、1通の手紙によって揺らいでいく様子を描いた作品なのだが、
私は、最近、やっと本作を見る機会を得、鑑賞後、「恐い!」と思った。(爆)
〈断捨離を一刻も早く終えなければ……〉
と思ったことであった。(コラコラ)
と書いたのだが、(全文はコチラから)
60代(いつ死んでもおかしくない年代)になったら、手紙や日記や秘密の趣味に関する品々などは、一刻も早く処分しなくてはならない。
なぜなら、自分が死んだ場合、残された配偶者や子供たち、あるいは赤の他人にまでそれらを見られて(読まれて)しまう恐れがあるからだ。
本作の主人公イーディは、83歳にもなるのに、まだ断捨離もしていない。
人生や死に対する覚悟がまだできていないとも言えるし、
このままだと、さらなる問題を引き起こす恐れもある。
イーディは、子供の頃、父親とよく山登りへ行っていたようで、
(そういう意味では“初めての山登り”ではないのだが……)
結婚後、父親から、
「昔のようにこの山に登らないか」
というスイルベン山への誘いの絵ハガキが届いたとき、
夫に相談すると、反対され、諍いとなり、
以後、父親とも、山とも遠ざかってしまったという過去があった。
夫の死後、その絵ハガキを発見し、
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昔、父親と行きたかったスイルベン山という山に挑む決意をする。
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スコットランドにあるスイルベン山は、標高731mの山で、
高さはそれほどないのだが、(もともとイギリスに高い山はない)
その山に至るまでが長く、(山好きにはそれが魅力ではあるのだが……)
ボートを漕いだり、キャンプしたりしなければ到着しない。
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イーディは、父親との“思い出”の品である登山用品やキャンプ用具を持って出発するのだが、今ではほとんど役に立たない代物ばかりであった。
持っていけなくもないが、重いし、使い勝手が悪いし、
83歳のイーディには背負えないし、使いこなせないものばかりであった。
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偶然知り合った地元の登山用品店の青年ジョニー(ケビン・ガスリー)に、
最新の登山用具、キャンプ用品、高機能の登山服などを買わされてしまうが、(当初は仲間のマクローリンにそそのかされてジョニーはイーディに値段の高い用具を売りつけようとしていた)
結果的にそれが良かった。
単独でスイルベン山に挑むイーディは、途中、嵐に遭ったりするのだが、
その高機能の登山服が彼女の命を救うことになる。
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“思い出”の品というのは厄介で、
なかなか捨てられないし、
それがなくなると、“思い出”までもがなくなってしまうような気がしてしまう。
でも、そんなことはなくて、
私も断捨離をした後に感じたことであるが、
“思い出”はいつも胸の内にあるし、
“思い出”の品がなくなっても、“思い出”が消えることはないということだ。
老いてくると、“思い出”の品があること自体を忘れているし、(笑)
もし、忘れ去り、消え去る“思い出”があったとしても、それはそれでイイ。
すべてを憶えていることはできないし、
人は、いずれ、すべてを忘れてしまうのだから……
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本作のキャッチコピーに、
「人生を楽しむことに、いつだって“遅すぎる”ということはない―!」
とあるし、
本作のテーマも、常套句としてよく使用される、
「何かを始めるのに年齢は関係ない!」
というものだと思うのだが、
いくらなんでも83歳は遅すぎると思う。
体力は衰えているし、
感受性も摩滅している。
自分が危険にさらされるだけではなく、
周囲の人々にも迷惑をかけてしまう。
登山に関しては、
(なるべくなら)遅くとも50歳くらいまでに始めた方が良いように思う。
定年後に始める人も多いが、それでも遅いと思う。
定年後に山登りを始める人たちに共通するのは、
定年までは“社畜”として仕事以外は何もせず過ごしてきて、
定年になってやっと何かをしようと思い、
〈山登りでもするか!〉
と、始める人が多いので、
登山を始めても、すぐ自分にノルマを課してしまうことだ。
「日本百名山に挑戦!」
「○○山に1万回登頂!」
などと、目標をかかげ、
(“社畜”時代と同じく)ノルマ達成に励んでいるのは、
皆、定年後に登山を始めた定年後組ばかりである。(コラコラ)
山では、この定年後組にはなるべく近寄らないようにしているが、
不運にも捕まってしまうと、
「あなたは日本百名山にいくつ登っているか?」
と、高飛車に質問されたり、
「私は○○山に毎日3回登っている。もうすぐ3000回になる」
などと、延々と自慢話を聞かされるハメになる。
「スゴイですね」
などと相槌を打とうものなら、
「いやいや、私などまだ“ひよっこ”です。1万回以上登っている人もいますよ」
などと、定年後組の先輩の名を挙げて、
「私も1万回登頂を目指していて、今後は1日5回に増やそうかと思っています」
と、決意まで聞かされることになる。
こういう風な人間にならないためにも、
なるべくなら、山登りは若い頃から始めた方がイイ。
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私がかつて所属していた山岳会には、
80代半ばで北アルプスに登った先輩もいたし、
2017年に南アルプスに行ったときには、
82歳で単独行している男性にも会った。(コチラを参照)
80代になっても、元気ならば登山も可能だし、アルプスへも行ける。
それは、過去の様々な山での経験がそうさせるのだし、
80代から山登りを始めても、そうはいかないと思う。
山岳ガイドに頼れば可能かもしれないが、
やはり山は自分の力で登ってこそだと、個人的には考える。
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『イーディ、83歳 はじめての山登り』を鑑賞し、
山登りについて、そして老いについて、深く考えさせられた。
主人公のイーディは自分の人生に後悔している女性であったが、
私自身は自分の人生にまったく後悔はなく、
そういう後悔のない人生であったことに感謝している。
数年前に松原惇子著『母の老い方観察記録』を読んだとき、
65歳以上の人には後悔している時間はない。
65歳を過ぎたら、次のバスは来るかどうかわからない。
65歳も過ぎれば、検査すれば誰だって、がんの10個や100個は見つかる。
65歳を過ぎれば、あとは死ぬだけなのだから、楽しく暮らさないと損だ。
という言葉があったのを思い出した。(ブックレビューはコチラから)
もし、自分の人生に後悔があったとしても、
「65歳を過ぎれば、あとは死ぬだけなのだから」(爆)
「65歳以上の人には後悔している時間はない」ことを自覚し、
楽しく暮らしていかねばならぬ……と、
あらためて感じさせられた映画であった。