一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『恋する寄生虫』…目力のある小松菜奈が視線恐怖症の高校生を演じた異色作…

2021年11月16日 | 映画


小松菜奈の主演作(林遣都とのW主演)『恋する寄生虫』のレビューを書こうとしたら、
「小松菜奈と菅田将暉が結婚!」
というニュースが飛び込んできた。


私は、俳優のプライベートな面には興味がなく、
結婚しようが、不倫しようが、
〈イイ演技をして、イイ映画を私に見せてくれればそれでよい〉
と思っているので、特別な感慨はないのだが、
結婚なんて若い時分に“勢い”でするもので、
熟考していたら一生できるものではないし、
人生の早い時期に結婚できて、女優・小松菜奈にとっては良かったと思う。
結婚が、小松菜奈のこれからの女優人生にプラスになれば……と思うし、
できうることならば、
出産や育児も含め、人生における(良いことも悪いことも)様々なことをすべて経験し、
一回りも二回りも大きな女優になってもらいたい。


小松菜奈と菅田将暉の映画での共演作は、
『ディストラクション・ベイビーズ』(2016年5月21日公開)
『溺れるナイフ』(2016年11月5日公開)
『糸』(2020年8月21日公開)
の3作があり、(タイトルをクリックするとレビューが読めます)
『ディストラクション・ベイビーズ』と『溺れるナイフ』は傑作なのだが、
『糸』はイマイチの作品だったので、
たぶん、前2作の頃はまだ付き合っておらず、
『糸』の頃に付き合い始めたのではないかと思われる。
なぜなら、俳優は、幸せオーラが出始めると良い演技ができなくなるからだ。
悲しい哉(かな)、俳優は不幸なときに良い演技を見せてくれることが多い。
なので、
“おしどり夫婦”などと呼ばれないように、
常に緊張関係にあるような、
ちょっと不幸の匂いもするような夫婦であってもらいたい。(コラコラ)

前置きが長くなった。
レビューを書こう。

私は、若い頃から、目力の強い女性に惹かれるところがあった。
思いつくままに(女優やミュージシャンの名を)挙げると、
小西真奈美、真木よう子、柴咲コウ、麻生久美子、沢尻エリカ、菜々緒、シシド・カフカ、桜井ユキ、市川実和子、趣里、門脇麦、今田美桜、桜井日奈子、恒松祐里、清原果耶、平手友理奈、池田エライザ、家入レオ、山本彩、あいみょん、長屋晴子(緑黄色社会)などなど。
中でも、私のなかで常にNO.1に輝いているのは、小松菜奈であった。(コラコラ)
小松菜奈から睨まれたら、「蛇から睨まれた蛙」状態になり、(爆)
私など何もできなくなってしまうことだろう。


そんな(目力が半端ない)小松菜奈が、
(なんと)視線恐怖症の高校生を演じた作品が公開された。
それが、本日紹介する映画『恋する寄生虫』なのである。
三秋縋の同名小説を原案に、


潔癖症に苦しむ孤独な青年と、
視線恐怖症の不登校女子高生の、
はかない恋愛を描いたラブストーリーとのことで、
〈なにがなんでも見る!〉
と決めていた作品である。
で、公開初日(11月12日公開)に映画館(109シネマズ佐賀)に駆けつけたのだった。



極度の潔癖症で人と関わることができずに生きてきた青年・高坂賢吾(林遣都)は、


ある日、見知らぬ男(井浦新)から、
「視線恐怖症で不登校の高校生・佐薙ひじりと友だちになって面倒をみてほしい」
という奇妙な依頼を受ける。



露悪的な態度をとる佐薙ひじり(小松菜奈)に辟易していた高坂だったが、
それが自分の弱さを隠すためだと気付き、共感を抱くようになる。



世界の終わりを願っていたはずの孤独な二人は、
クリスマスに手をつないで歩くことを目標にリハビリをスタートさせるが、
やがて、次第に惹かれ合い、初めての恋に落ちていく。
だが、幸福な日々はそう長くは続かなかった。
彼らは知らずにいたのだ。
二人の恋が、
“虫”によってもたらされた「操り人形の恋」に過ぎないことを……




この映画の主人公は、
潔癖症に苦しむ孤独な青年と、
視線恐怖症が原因で不登校になっている女子高生の二人なのだが、
程度の差はあるかもしれないが、誰もが持っている感覚であると思うし、
コロナ禍の今は尚のこと、
手洗い、除菌などに神経質になっており、
咳やくしゃみをするにしても他人の視線を気にしていたりして、
以前にも増して、潔癖症や視線恐怖症に苦しんでいる人が多くなっている気がする。
症状が悪化すると、
心と体がバラバラに感じられるようになり、
心が何ものかに支配されているように感じられたりもする。
本作『恋する寄生虫』では、
体内に棲む“虫”によって人の心が支配されているという設定になっており、
それがユニーク、かつ面白かったし、99分間、楽しんで見ることができた。


自分の好きじゃない部分や、
コンプレックスと感じている部分を持っている人にとっては、
〈自分だけじゃないんだ〉
と、心が和らぐ映画になっているし、
こういうことで悩んでいる身近にいる人たちにも目を向けなければならないと、
気づかせてくれる映画にもなっているように感じた。



この映画を見ている最中、
体内に棲む“虫”によって人の心が支配されているという感覚、発想が、
かつての私にもあったことを思い出した。
この映画の原作本は、5年前の2016年に刊行されているが、
私は27年前の1994年に『体内の蛇』という短編小説を書いていたのだ。


「九州文学」という地方の文芸誌に発表したもので、
小説は普通一人称か三人称で書かれることが多いが、
この小説は二人称で書いたもので、
思いがけなくも、小さな文学賞を受賞した作品でもある。
その一部を引用してみる。

ひとはだれでも体のなかにいくつもの虫をもっているものですよ。主役はかれらだといってもいいくらいです。回虫のほかにも、腹の虫、癪の虫、浮気の虫、塞ぎの虫、芸の虫、泣き虫、虫歯、虫酸などなど幾千もの虫がいる。いや、冗談でいっているわけではないんですよ。これらの虫たちがひとの体に宿ってさまざまな感情や思考や行動をうながしているんです。人間なんてしょせん、それらの虫たちにコントロールされている肉と骨と血の器にすぎないんですから。回虫? 大歓迎ですよ。寄生虫なんてとんでもない。だいたい寄生してなにが悪いんです? 寄生虫に蝕まれて死んだ人間がいますか? 人間が死んだら寄生虫はどこから養分を吸収すればいいんです? 寄生虫が自分の首をしめるようなそんなばかなことすると思いますか? 寄生虫だって人間に元気でいてもらいたいんです。寄生虫によって人間は自らの生を確認しているんですよ。むしろ人間がかれらによって生かされているんです。主役はかれらなんですから。

書いた内容はすっかり忘れていたのだが、
こうしてあらためて読んでみると、
「回虫」や「寄生虫」という言葉が何度も出てくるし、
「ひとはだれでも体のなかにいくつもの虫をもっているものですよ。主役はかれらだといってもいいくらいです」
という文章など、
まさに、『恋する寄生虫』とリンクする内容ではないか……と思った。(忘れてたくせに)
そういうこと(映画の内容と同調するようなこと)もあって、
近しいものを感じたし、共感する部分が多かった。



この映画は、
ファンタジー映画、ホラー映画、ミステリー映画などの要素もあるが、
基本、ラブストーリーであり、
驚くべきことに、クリスマス映画の要素まである。
カップルで見に行っても、ぜんぜん大丈夫な映画なのである。


クリスマスが近くなると、
私は、毎年、『ラブ・アクチュアリー』(2004年)を見たくなるのだが、
来年からは『恋する寄生虫』を見たいと思うかもしれない。(笑)



監督は、
「この規模の長編映画は初めて」という気鋭の柿本ケンサク。


原案となる三秋縋の同名小説は、いわゆるライトノベルなのであるが、
『君の膵臓をたべたい』のような万人受けする映画にするのではなく、
様々な手法を取り入れ、届けたい人に届けるべく作られた作品で、
流したようなシーンはひとつもなく、
1カット、1カットを、丁寧に、丁寧に撮っているのが解ったし、
これからが期待できる楽しみな監督だと思った。



視線恐怖症で不登校の高校生・佐薙ひじりを演じた小松菜奈。




小松菜奈の主演作が佐賀県ではなかなか上映されないし、
コロナ禍で、私自身、「今年(2021年)は他県へは出ない」と決めていたこともあって、
スクリーンで小松菜奈を見ることができず、ストレスが溜まっていた。
先日、新聞のTV番組欄を見ていたら、
「小松菜奈」の文字が目に飛び込んできて、
ハッとなり、喜んだのも束の間、
よく見ると、野菜の「小松菜」のことで、(爆)


「小松菜奈」病が重症化していることに、我ながら驚いたのであるが、
そんな私なので、本作で、
大きなスクリーンで小松菜奈の顔を見ることができただけで幸せであったし、
大満足であった。


小松菜奈自身は、「25歳で女子高生を演じるのはキツイ」と自虐ネタにしていたが、
ぜんぜんそんなことはなくて、
まだまだ高校生役はいけるし、
これからも(いつまでも)10代の役をやってもらいたいと思う。(コラコラ)


注目してほしいシーンは?

との問いに、

佐薙が高坂の部屋に来て、急に服を脱いで2人がハグするシーンはふわっとした演出で具体的な指示はなく、私たちも考える時間がないままやったのですが、空気さえもピタッとはまった感覚がありました。あの瞬間は、柿本監督もスタッフさんもみんなでナマ感を楽しんでいる感じだったんです。私にとって印象に残るシーンなので、ぜひ注目してご覧いただけるとうれしいです。(「映画board」インタビューより)

と小松菜奈は答えていたが、
私も、このシーンが一番印象に残っており、
女優・小松菜奈の良い部分がすべて表現されている素晴らしいシーンだったと思う。


柿本ケンサク監督にとっての最高のシーンは、湖でのシーンだそうで、


湖のシーンは最高でした。ここでの菜奈ちゃんのセリフは僕がこの作品でいちばん言いたかったこと。観客に問いかけるプレゼンテーションの場でした。そこに向けてストーリーを構築していったのです。そこで菜奈ちゃんは見事なプレゼンをしてくれたのです。段取りの段階からぐっときていましたし、撮影現場に立ち合っているからわかっているはずなのに、編集していてもぐっときました。(「映画board」インタビューより)

と語っていたが、
静かに佇む静謐さと、瞬間的に弾ける爆発力。
演技の振り幅が大きく、静と動の両側面をどちらもしっかり表現できる演技力が、
小松菜奈の魅力であるし、
結婚後も、(私が生きている間は)女優をずっと続けてもらいたいと思った。



本作の主要キャストは、小松菜奈の他、


極度の潔癖症で、
人と関わることができずに生きてきた青年・高坂賢吾を演じた林遣都、


高坂の前に突如現れ、佐薙と引き合わせる謎の男・和泉(いずみ)を演じた井浦新、


佐薙の祖父・瓜実裕一を演じた石橋凌


の計4人なのであるが、
それぞれが実力のある俳優なので、
4人芝居の舞台を、極上の席で観ているような感じで、とても心地よかった。
〈また見たい!〉
と、思わせてくれる映画であった。

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