一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『サラの鍵』 ……サラ、決してあなたを忘れない……

2012年05月29日 | 映画
映画『サラの鍵』は、
フランスでは2010年10月13日に公開され、
第23回東京国際映画祭(2010年10月23日~10月31日開催)において、
最優秀監督賞と観客賞をW受賞した作品である。
日本での公開は、映画祭から約1年後の2011年12月17日。
とても見たいと思った作品であったのだが、
佐賀では上映館がなく、
なかなか見る機会に恵まれなかった。
今年(2012年)の1月28日から福岡のKBCシネマで公開されたが、
見に行く機会を逸し、
諦めかけていたところ、
佐賀のシアター・シエマでの上映が決まり、
先日、やっと見ることができた。

第二次世界大戦がはじまって4年目、
1942年7月16日の早暁。
パリとその近郊に住むユダヤ人13150人が一斉に検挙され、
ヴェルディヴという冬季競輪場に押し込められた。
そこには4115人の子供たちも含まれていた。
トイレも使えず、満足な食事も与えられないまま、
6日間この競輪場に留め置かれたのち、
彼らのほぼ全員がアウシュヴィッツに送られた。
戦後、生還できた者は、約400人にすぎなかったという。
当時ナチス・ドイツの意向がはたらいていたとはいえ、
この一斉検挙を積極的に立案し実行したのは、
まぎれもないフランス警察だった。
半世紀後の1995年、
シラク大統領が、
1942年にフランス警察が敢行したユダヤ人の一斉検挙を認め、
国家として正式に謝罪。
フランスがナチスに協力していたというこの事実を、
多くのフランス人はこのシラクの演説によって初めて知ることとなる。
映画『サラの鍵』の原作者タチアナ・ド・ロネもまた、
その演説を聴き、衝撃を受ける。
〈苦悩を共有したかった、知らずに生きてきたことに罪を感じた……〉
そのときの衝撃が小説執筆の動機となったという。
本は全世界で300万部を超えるベストセラーとなり、
ノーベル平和賞を受賞した中国人作家・劉暁波氏が獄中で読んだ本としても話題となった。

夫と娘とパリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、45歳で待望の妊娠をはたす。
が、報告した夫から受けたのは、思いもよらぬ反対だった。
そんな人生の岐路に立った彼女は、ある取材で衝撃的な事実に出会う。


夫の祖父母から譲り受けて住んでいるアパートのかつての住人は、
1942年パリのユダヤ人迫害事件でアウシュビッツに送られたユダヤ人家族だったのだ。
さらに、その一家の長女、10歳の少女サラ(メリュジーヌ・マヤンス)が収容所から逃亡したことを知る。
一斉検挙の朝、




サラは弟を納戸に隠して鍵をかけた。
すぐに戻れると信じて……。


果たして、サラは弟を助けることができたのか?
2人は今も生きているのか?
事件を紐解き、サラの足跡をたどる中、次々と明かされてゆく秘密が、
ジュリアを揺さぶり、人生さえも変えていく。


すべてが明かされた時、
サラの痛切な悲しみを全身で受け止めた彼女が、
ついに見出したひとすじの光とは……?
(ストーリーはパンフレットより引用し構成)


最初から最後まで、111分間、身じろぎもせずに、見た。
すごい作品であった。
一般受けする映画ではないので、
上映館が限られるのは仕方ないことだと思うが、
これほどの傑作は、
もっと多くの映画館で上映してもらいたいと思った。
もっと多くの人に見てもらいたいと思った。
それほどの衝撃作、感動作である。


監督は、自らもドイツ系ユダヤ人の祖父が収容所で亡くなったという記憶をもつ若手新鋭監督ジル・パケ=ブレネール。
重苦しい過去、
ユダヤ人迫害という悲しみと痛みを、
彼は、映像によって見事に未来の光に変えている。
サラが生きる過去、
ジュリアが生きる現代……
ふたつの時代を交互に描き、
それを対比させることによって、
サラの生きた時代の過酷さをより鮮明に描き出す。
映画を見る者は、ジュリアと一緒に、その過去と対峙させられる。
感傷主義に陥らず、
涙を強要することもなく、
見る者の感性を信じた気品ある演出が素晴らしかった。


過酷な場面が多いが、
それと同じくらい美しいシーンが多い。
サラともう一人の少女が小麦畑を駆け抜けるシーン


サラが海辺で佇むシーン、




忘れがたい印象的なシーンが、いつまでも心に残る。


この映画で、私はサラという少女に出会った。
サラという少女がいたことを、
私はいつまでも忘れないでいようと思う。
忘れさえしなければ、
サラはいつまでも生きているのだから……

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