本作『ロストケア』(2023年3月24日公開)は、
私の好きな女優・長澤まさみの出演作としてチェックしていた。
原作は、葉真中顕の小説「ロスト・ケア」(第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作)。
監督は、前田哲。
主演は、松山ケンイチ。
長澤まさみの他、
(私の好きな)坂井真紀、戸田菜穂も出演しており、
〈見たい!〉
と思った。
連続殺人犯として逮捕された介護士と検事の対峙を描いた社会派サスペンスとのことで、
連続殺人犯役の松山ケンイチと、検事役の長澤まさみが、どんな演技をしているのか、
ワクワクしながら映画館に駆けつけたのだった。
早朝の民家で、老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された。
捜査線上に浮かんだのは、センターで働く斯波宗典(松山ケンイチ)。
だが、彼は介護家族に慕われる献身的な介護士だった。
検事の大友秀美(長澤まさみ)は、
斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、
彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めた。
真実を明らかにするため、斯波と対峙する大友。
すると斯波は、自分がしたことは「殺人」ではなく、「救い」だと主張した。
その告白に戸惑う大友。
彼は何故多くの老人を殺めたのか?
そして彼が言う「救い」の真意とは何なのか?
被害者の家族を調査するうちに、
社会的なサポートでは賄いきれない、介護家族の厳しい現実を知る大友。
そして彼女は、法の正義のもと斯波の信念と向き合っていく……
原作では、犯人を「彼」と称し、
犯人は最後までわからないようになっているそうだが、
映画では、早々に犯人が割れ、
連続殺人犯・斯波宗典(松山ケンイチ)と、
検事・大友秀美(長澤まさみ)との対峙が、
重要な見どころのひとつになっている。
そういう意味では、ミステリー要素やサスペンス要素は少なく、
社会派人間ドラマになっていると言えよう。
実は、見る前は少し心配していた。
前田哲監督作品は、
『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(2018)
『老後の資金がありません!』(2021)
『そして、バトンは渡された』(2021)
などのように、
社会的なテーマを扱っても、
「いかにも」な感じの、やや甘口の大衆娯楽作というような作風になりがちだったので、
社会派サスペンスとは合わないような気がしていたのだ。
だが、
〈本当に前田哲監督作品?〉
と思わされるほどに、
スパイスの利いた辛口で骨太の映画になっていて、
少なからず驚かされた。
前田哲監督が2013年に原作を読み、
〈面白い!〉
と感じ、
松山ケンイチに言ったら、すぐに読んで、
「やりたい!」
と言ってくれたそうだ。
それから4年がかりで脚本を書き、(龍居由佳里との共同脚本)
練りに練って、最終的には23稿になったとのこと。
改訂するたびに松山ケンイチにも意見を求めたというから、
松山ケンイチも単なる主役ではなく、制作陣側の一員でもあったのだ。
(共同脚本の)龍居由佳里も、
TVドラマ
「星の金貨」(1995年、日本テレビ)
「ピュア」(1996年、フジテレビ)
「バージンロード」(1997年、フジテレビ)
「白い影」(2001年、TBS)
「砂の器」(2004年、TBS)
「ストロベリーナイト」連続ドラマ版(2012年、フジテレビ)
などの質の高い人気作を手掛け、
映画でも、
『ストロベリーナイト』(2013年、東宝)
『四月は君の嘘』(2016年)
などの話題作の脚本を担当した実力者で、
映画『ロストケア』が見るべき映画になっているのは、
下地に時間をかけた、こうした地道な努力があったからこそと思われた。
松山ケンイチが演じる犯人・斯波は、
一般的な凶悪な連続殺人犯という感じではなく、
介護に打ち込み、周囲からも一目置かれ、
後輩からも慕われ、憧れられる存在である。
そんな彼が、
老いと病いとに苦しむ高齢者、
そしてその高齢者を介護する家族の苦しみを見かねて、
あえて殺人を犯してしまう。
彼はなぜそうなってしまったのか?
斯波自身が、父親(柄本明)の壮絶な介護を経験し、
働けなくなって生活保護を申請しても拒絶され、
高齢者の苦しみ、介護する者の苦しみ、社会の理解の無さなど、
あらゆる不条理に遭遇し、抱かざるを得なかった「絶望」が根底にある。
斯波が殺人犯にならざるを得なかった過程を丁寧に描くことで、
本作に説得力を持たせている。
松山ケンイチの演技も見事で、
見る者に、
〈彼はそんなに悪い男ではないのではないか……〉
と思わせるほどに、自然体の抑えた演技で魅せる。
脚本の段階から参加した松山ケンイチならではの秀逸な演技であった。
検事・大友秀美を演じる長澤まさみ。
原作では、検事・大友は男性なのだが、
女性に変更し、華のある長澤まさみに演じさせることで、
映画『ロストケア』はグッと魅力を増した。
長澤まさみといえば、
『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年5月8日公開)
を思い出す人が多いことと思う。
ヒロイン・廣瀬亜紀を演じ、
第29回報知映画賞 最優秀助演女優賞、
第17回日刊スポーツ映画大賞 新人賞、
第22回わかやま市民映画祭 助演女優賞、
第47回ブルーリボン賞 助演女優賞、
第28回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞、話題賞(俳優部門)、
第42回ゴールデン・アロー賞 映画賞
など、多くの映画賞を受賞した。
初期の代表作と言えるだろう。
その後、
『タッチ』(2005年9月10日公開)で、浅倉南を演じ、
同じあだち充原作の『ラフ ROUGH』(2006年8月26日公開)などで、
青春映画のアイドル的な存在になった。
TVドラマでも、
かつて薬師丸ひろ子が主演して記録的大ヒットとなった映画『セーラー服と機関銃』のリメイクとなる連続ドラマ(2006年、TBS)に主演し、
2007年4月クールの月9ドラマ『プロポーズ大作戦』に月9初出演及び初主演(山下智久とダブル主演)するなど、
清純派の若手スターとして輝いていた。
しかし、その後は、
同じような役柄を無難にこなすだけの女優に見え、
〈華はあるけれど、女優としてはこのまま終わってしまうかも……〉
と思った。
その長澤まさみに変化を感じたのは、2011年だった。
映画『モテキ』(2011年9月23日公開)において、清純派を脱皮し、
かつてないセクシーシーンに挑戦し、新境地を開いたのだ。
第54回ブルーリボン賞 助演女優賞、
第35回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞、
第3回日本劇場スタッフ映画祭 優秀主演女優賞、
第11回 ニューヨーク・アジア映画祭 スター・アジア・ライジング・スター賞
などを受賞し、新たな評価を得た。
この年はさらに、
PARCO劇場において本谷有希子の作・演出による舞台「クレイジーハニー」で初舞台を踏むなど、
女優としての“覚悟”が感じられるようになった。
その後の映画においては、
私がこのブログのレビューで高く評価した、
是枝裕和監督作品『海街diary』(2015年6月13日公開)で、
第28回日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞、
第70回毎日映画コンクール 女優助演賞、
第25回東京スポーツ映画大賞 助演女優賞、
第39回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を、
黒沢清監督作品『散歩する侵略者『(2017年9月9日公開)で、
第72回毎日映画コンクール 女優主演賞、
第27回東京スポーツ映画大賞 主演女優賞、
第41回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
を受賞するなど、
演技力が凄まじく進歩した。
ミュージカル『キャバレー』(2017年)では歌唱力があることも知らしめ、
その福岡公演を観た私は、
……長澤まさみの生まれ持ったスターとしての輝き……
とのサブタイトルで絶賛するレビューを書いた。(コチラを参照)
その後は、
『マスカレード・ホテル』(2019年)
『キングダム』(2019年)
『コンフィデンスマンJP -ロマンス編』(2019年)
『コンフィデンスマンJP -プリンセス編』(2020年)
などを経て、
自身の代表作となる『MOTHER マザー』(2020年)に至る。
そのレビューに、
本作を見て、
秋子を演じている長澤まさみに魅了されない者はいないだろう。
初の大森立嗣監督作品ということや、
初の“汚れ役”に挑戦するということで、
普通なら役作りや演技をやり過ぎてしまうものであるが、
そういった気負いもなく、
スタンドプレイに走ることなく、
男にだらしなく、その場しのぎで生きてきたシングルマザーの秋子を、
長澤まさみは、静かに、不気味に演じていた。
1987年6月3日生まれなので、まだ33歳(2020年7月現在)なのであるが、
本作の中では疲れ切った中年女に見えるときもあり、
その演技の巧さに感心させられた。
東宝「シンデレラ」オーディションで、35,153人の中から当時(2000年1月9日)、史上最年少の12歳(小学6年生)でグランプリに選ばれ、芸能界入りしているので、
まだ33歳ながら、女優歴は既に20年。
様々な経験の積み重ねの上に、現在の長澤まさみがあるのだと思うと感慨深かった。
と書いたのだが、
本作『ロストケア』でも、
それらの経験に裏打ちされた演技は素晴らしく、
対峙する松山ケンイチに一歩も引けを取らなかった。
長澤まさみが演じている大友検事も、
認知症の症状が表れている自分の母親・加代(藤田弓子)の問題を抱えており、
苦しんではいるが、
認知症が進行する父親を自宅で介護していた斯波とは違い、
大友の母は高級そうな養護施設のお世話になっていて、
斯波と大友秀美は、
連続殺人犯と検事という関係性だけではなく、
親の問題にしても、対照的な立場の人間として描かれている。
最初に発覚する事件の被害者の娘である梅田美絵(戸田菜穂)と、
認知症の母を介護する羽村洋子(坂井真紀)も対照的に描かれていて、
どちらも介護に疲れ、ギリギリの状態であるのは同じなのだが、
斯波によって親を殺され、
裁判所で「人殺し!」と叫ぶ梅田美絵に対し、
羽村洋子の方は介護から解放されてホッとし、次へ進もうとする。
「悪」なのか、「救い」なのか、単純に判別するのではなく、
それぞれを対照的に描くことで、見る者に考える時間を与える。
大友秀美(長澤まさみ)や梅田美絵(戸田菜穂)が語る言葉はもっともなのだが、
親の介護経験のある者にとっては、
斯波宗典(松山ケンイチ)や羽村洋子(坂井真紀)が語る言葉の方に親近感がある。
それが怖いところでもあり、
本作の狙いもそこにあったように思った。
松山ケンイチ、長澤まさみだけではなく、
梅田美絵を演じた戸田菜穂、
羽村洋子を演じた坂井真紀、
猪口真理子を演じた峯村リエの演技も素晴らしく、
特に、斯波の父・正作を演じた柄本明の演技が鬼気迫るものがあり、感心させられた。
斯波を慕う後輩・足立由紀を演じた加藤菜津も強く印象に残っており、
これからの活躍が期待できる女優だと思った。
2025年に65歳以上は人口の約30%に達し、75歳以上の人口は2,180万人となり、
2035年には人口の3分の1が高齢者になるそうだ。
新聞のデータベースによると、
介護に関わる困難を背景に、
介護をしていた親族が60歳以上の被介護者を殺害、あるいは心中をしてしまった事件が、
1996年から2020年までの25年間に、
少なくとも981件発生しており、993人が死亡しているとか。
映画『ロストケア』が描いているものは、絵空事ではなく、
もうそこまで迫って来ている現実として受け止めなければならないだろう。
経済学者で米イェール大学助教授の成田悠輔が、
「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」
と語って物議を醸したが、
彼は、
〈自分はまだ若い。当分、老いて死ぬはずがない……〉
と思っているのかもしれない。
成田悠輔は1985年生まれなので、今年(2023年)で38歳。
DNAのメチル化から割り出された人間の自然寿命が38歳なので、(コチラを参照)
もう自然寿命には達しているのだ。(笑)
「自ら率先して手本(自決、切腹)を示して欲しい」
とまでは言わないが、
心配しなくても、すぐに老人になる。(爆)
世は「順送り」社会なのである。
トコロテンのようにすぐに「天突き」で押し出され、誰もがすぐに高齢者になる。
「高齢者」という存在が離れた場所にあるのではなく、
自分の延長線上に、地続きに「高齢者」はある。
「高齢者」は今の自分でもあるのだ。
映画『ロストケア』は、そのことを感じさせてくれた優れた作品であった。
いつかまた本作と対峙したいと思った。