一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

最近、驚いたこと⑬ ……『尾畠春夫のことば』を読んでビックリしたこと……

2021年10月11日 | 最近、驚いたこと


最近、白石あづさ著『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』(文藝春秋)を読んだ。


尾畠春夫という人物を知らない人はいないであろう。
2018年、行方不明だった2歳児を発見し、一躍時の人となった。
「スーパーボランティア」はその年の流行語大賞にもなった。
本書は、
取材もしないで書かれたような本(そんな本が多い)とは異なり、
著者が尾畠春夫さんとの3年にわたる交流を重ねたことで知り得た、
超元気な81歳の知られざる人生と、
数々の胸に残ることば、
そして(これまで撮影した約1万枚の中から100枚近くを厳選した)写真を掲載している。


毎朝8キロ走り、
家の庭に生えた雑草を食べ、
ここ10数年は病気知らず、
全国の災害地を飛び回り、
毎月年金5万5千円で暮らす……
そういった尾畠春夫の暮らしぶりや、

●虫が穴を空けた野菜を食べるんよ
●酒は断つ、仮説住宅がなくなる日まで
●好きな言葉は「汗かく」「恥かく」「文字を書く」
●人間ほど悪くて最低な奴はいない
●戦争で苦労した世代も食べ物を無駄にする
●天よりも高く、海よりも低く、五感を働かせて生きろ
●自分の人生を他人に委ねない
●「だと思う」と「想定外」は逃げ言葉
●石にかじりついても生き抜く
●苦しい時こと、半歩でいいから外に出て
●口がうまい人よりも、手を動かす人が好き
●リーダーは、男より女性がいい
●政治家がダメなのは、選んだ国民が悪いんよ
●ロウソクの灯が消えるみたいに死にたい
●人生は、地球の瞬き一回分


などの(過酷な人生を経たからこその)珠玉の言葉の数々も、
すごく心に響いたし、感動させられた。



それとは別に、
本書を読んで、とても驚かされたこともあった。
今日は、それを紹介したいと思う。
尾畠春夫さんは、
1939年(昭和14年)10月12日生まれの81歳。(2021年10月11日現在)
明日になれば82歳。
笑ったときの白い歯が印象的で、
80歳を過ぎてもなお元気なのは、
〈あの丈夫そうな歯のおかげであろう……〉
と、私は勝手に思っていた。



「8020(ハチマルニイマル)運動」というのがある。
いつまでもおいしいものを食べ続けるための元気な歯は、日々の手入れから……
ということで、
1989年(平成元年)より、厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している、
「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動である。
20本以上の歯があれば、食生活にほぼ満足することができると言われており、
そのため、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」との願いを込めて、
この運動 が始まった。
「残った歯の数が少ない人ほど寿命が短くなるし、認知症の発症率も上昇する」
との調査結果も発表されていたし、
私にとって、歯を失くすことは一種の恐怖となっていた。
1~2ヶ月に一度は歯科に行ってメンテナンスをしているし、
なるべく歯を失わないような努力はしてきたつもりでいる。
それでも、歯茎は日々下がってくるし、歯も弱っていく。
『歯を長持ちさせる鉄則』(魚田真弘著)という本を読むと、


●6歳に生えてくる奥歯の平均寿命は51歳。
●一番長生きすると言われる犬歯でも60歳。


とあり、
奥歯は57歳頃には寿命となり、
犬歯でも66歳頃には失ってもおかしくはないということになる。
なので、土台「8020運動」というのは無理な話なのであって、(コラコラ)
多くの人は、年齢と共に歯も失っていく。
〈だが、尾畠春夫さんは例外の一人で、80歳を過ぎても健康そうな歯を保っている〉
〈それこそが尾畠春夫さんの健康の秘訣なのだ〉
と、勝手に想像していた。
だが、本書『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』の75頁を読んで、仰天した。

19歳で総入れ歯になったんよ

ほら、姉さん、ちょっとこれ見て。被災地の中学生の子が描いてくれたワシの似顔絵なんよ。歯を白くピカッ!と描いてくれてるでしょ? だけど、ワシのこの歯、全部入れ歯やからね。ほんとの歯は一本もないっちゃ。
19歳で全部なくなったんよ。これ(麻薬)やってたわけじゃないよ(笑)。ワシは10歳で農家に奉公に出されたけど、奉公先じゃまず白いご飯やオカズの魚なんて食べられない。卵なんて食ったことないな。だから、卵かけご飯なんていうのは夢のまた夢。ワシが小さい頃は、卵っていうのは本当に貴重で、病気か超高齢の人だけが食べられるものって大人たちが言ってた。麦さえも食べられなくて、普段はイモとかカボチャだけ。ビタミンは取れるんよ。でも歯になる素のカルシウムはまずないんです。そんな時代やった。
中学を出て魚屋に勤めてからようやくご飯も食べられるようになって、カルシウムが取れたけどね。でもそん時は、もう15歳やったから、間に合わんかった。永久歯がどんどん抜けよったから。魚屋は客商売だから、歯が抜けたままじゃ言葉もはっきり通じない。それは困るんよ。それで別府の歯医者さんで入れ歯を作ってもらって、何十年もはめちょったんだけど、それでもある日、ガッと何か噛んだらボキッと折れちゃって、今の入れ歯は2個目なんよ。まあ、死ぬまで持つかなぁと思って。あと75年くらい大丈夫よね? ははは。
やっぱりな、子どもの頃にちゃんと栄養を取らないとダメなんよ。食べ物に人間は生かされちょる。それを忘れてはいけないっちゃ。
(74~75頁)



19歳で全部の歯が抜けてしまったら、
普通は、あまり“元気のない”悲惨な人生が待っているような気がするのだが、
19歳で総入れ歯になった尾畠春夫さんの人生は“パワフル”であるし、
80歳を過ぎても元気にボランティア活動をされている
歯が丈夫な人と変わらない、
いや、それ以上に元気な人生を送られているような気がする。
歯を失うことに、これまで異常な恐れを感じていた私は、
〈歯を失うことは、それほど恐いことではないのではないか?〉
〈入れ歯の人生もそんなに悪くないのではないか……〉
と、思うようになっていた。
歯にも寿命があるのだし、(人の寿命よりもはるかに短い)
本当は、歯の寿命が人の寿命であるべきなのであろうし、
もし歯の寿命よりも人が長生きするのであれば、
「歯のない人生もあり」なのではないかと考えた。
そういえば、昔話題になった「きんさん、ぎんさん」も歯が無かったような……


調べてみると、当時、
妹のぎんさんが3本で、
姉のきんさんは歯が1本も無かった。
しかも、入れ歯はお二人とも入れていなかったそうだ。


「きんさん、ぎんさん」が、100歳を超えても、
「自分の歯でなんでも食べています」
ということであれば、話の辻褄が合うが、
歯がなくても、長生きする人はいるし、
必ずしも「歯の無い」ことが「不健康」に直結することではなく、
人それぞれだということなのだ。
本書を読み、歯が無くなることへの恐れが少し軽減したような気がした。



それにしても、(私と15歳しか違わない尾畠春夫さんだが)
尾畠春夫さんの生きた時代のなんと過酷だったことか。
尾畠春夫さんの母親も、尾畠春夫さんが10歳のときに、
41歳で亡くなっている。死因は栄養失調。
本のタイトルに、「お天道様は見てる」とあるが、
尾畠春夫さんによると、お天道様とは、母親のことであるらしい。

親父は飲んべえだし、生活は苦しいし、本当に大変だったと思うよ。そんな思いをして自分の命をかけてこの世に産んで育ててくれた……どんなに恩返しをしたくても、お母ちゃんはこの世にいないけれどね。だからあづささんも、お母さんのことは大事にね。約束よ。

もうね、この世に産まれてきたんじゃから、行き着くところまで生きちゃろうかと思って。それで、自分が死んであの世でお母ちゃんに会ったら、「春夫、よくやった!」って、骨がバキバキに折れるほどギューッと抱きしめてもらいたいわ。ははは。
(289頁)

尾畠春夫さんは、
世間の評判や評価はどうでもよくて、
死んで、あの世でお母さんに会ったときに、
お母さんに褒めてもらいたくて一所懸命に頑張っているのかもしれない。
高倉健のエッセイ集に『あなたに褒められたくて』というのがあったが、
人は誰しも、
愛する人、心に秘めた只一人に褒められたくて懸命に生きているのかもしれない。



本書を読んで、驚いたことがもうひとつあって、
それは、尾畠春夫さんの登山靴のこと。

ワシが40歳の時やね。大分県の西大分駅の近くに「山渓」ちゅう登山用具を売っているとこがあって、そこの親父さんが、大分合同新聞に「百名山の九重山に冬山登山しませんか。白銀の世界、素晴らしいですよ」って広告出してたんだわ。うちの子どももだいぶ大きくなって手が離れたし、行ってみようかなと思って。そこの店ではじめて登山靴を買って、親父さんに連れて行ってもらったの。ちなみにその靴は今も修理して履いてるけど」(254~255頁)

初登山で買った登山靴を、
「この靴は40歳。底が擦り切れたから息子が乗っとった山ん中、走るヤマハバイクの古タイヤを張り付けたの」
と、修理しながら40年間履き続けている。


登山靴だけでなく、ザックや、服や、登山や日常生活で使う用具などに至るまで、
尾畠春夫さんは修理しながら大事に使い続ける。
数年おきに新しい登山靴やザックや登山用具を買っている私は、
〈もっと物を大事にしなければ!〉
と反省させられたことであった。



最後に、
これは驚かされたことではなくて、共感したことであるのだが、
尾畠春夫さんの食生活。

普段、ワシがどんなものを食べているかというと、栄養があるもの。といっても、美味しいものじゃない。高級で贅沢なものはダメ。脂肪が多かったり、胃がもたれたり、保存料や着色料が入っているものもダメ。(34頁)

1日に食べるご飯の量を10とすると、朝はしっかり5割、昼はほどほど3割、夜は少な目に2割と決めちょる。夜は、たくさん食べると、胃がもたれてよく眠れなくなっちゃうからね。ご飯には、昔ながらのしょっぱい梅干しを乗っけて食べる。知らない人が多いけど、梅干しの種を割ったら、その中身も食べられるんよ。(38頁)

私も、美味しいもの、美味し過ぎるものは、意識して食べないようにしている。
「美味し過ぎるものは“毒”」だと思っているからだ。
なので、自ずと、高級で贅沢なものは食べないし、外食もほとんどしない。
美味しいものを食べたいとは思わないが、美味しくものを食べたいとは思う。
その工夫はしている。
自分で作って食べることが多いし、自分で作る料理以上に美味しいものはない。
基本は、「一汁一菜」。
一汁一菜とは、ごはんを中心として、汁(味噌汁)と菜(おかず)それぞれ1品を合わせた和食の原点ともいえる食スタイル。

最近、
稲垣えみ子著『レシピがいらない! アフロえみ子の四季の食卓』(‎マガジンハウス)
を読んだのだが、


そこに書かれていた食生活にも惹かれるものがあった。
稲垣えみ子さんは、2016年1月に朝日新聞社を退社し、
冷蔵庫なし、ガス契約なしの節エネ生活を送っている人で、
食生活では、
料理研究家・土井善晴氏が提唱している「一汁一菜」そのものの食生活を実践している。


「飯、汁、漬物」が基本。


豊かになった私たちは、毎日美味しいものを食べたいと願うようになりました。でも、美味しいものは飽きる。だからこそ「毎日違うもの」を作らねばならないと誰もが頑張っているのです。
それは確かに、豊かな暮らしなのかもしれません。しかし見方を変えれば、ソフトな「無間地獄」とも言えるんじゃないでしょうか。
(中略)
しかしですね、もしこの無間地獄を抜け出す方法があったなら。
そう、日々「美味しすぎないもの」を食べれば良いのです。
例えばご飯。これは美味しすぎないものの代表です。だってほとんど味がしない。しかしだからこそ噛めば噛むほど味わい深い。ご飯を毎日食べてたら飽きたって人は見たことがありません。そして、味噌汁。毎日味噌汁飲んでたら飽きたって人も見たことない。そして漬物。これも飽きたって人にはお目にかかったことがありません。
そうなんです。一汁一菜って、つまりは「美味しすぎないもの」の集合体なんです。だからこそ毎日食べても飽きることがない。それは考えてみれば実に完成された偉大な食事です。そう考えれば、ワンパターンって究極の贅沢なのかもしれません。
(17~18頁)

この記述にも、深く共感させられた。



尾畠春夫さんは、
酒は、昔は浴びるほど飲んでいたそうだが、
東日本大震災が起きてから、
〈被災地の仮設住宅がなくなる日まで一滴も飲まない〉
と決めて実践しているとのこと。
タバコも、毎日2箱、ハイライトを吸っていたそうだが、
13年前に、孫から、
「じいちゃん、65歳を過ぎたら人生もう下り坂じゃからな、タバコ、やめな」
と言われて、やめたそうだ。


そして、尾畠春夫さんは、家にいることは稀で、毎日出掛けるようにしている。
「今日、用がある」っていう「キョウヨウ」、
「今日、行くところがある」っていう意味の「キョウイク」。
教養と教育をかけた言葉だが、
高齢者こそ、このキョウヨウとキョウイクが必要と説く。


行くところや、やることが思いつかなかったら、一人で散歩してもいいし、近所のゴミ拾いをしてもいい。テレビ見てるよりも外のほうがずっと健康で刺激があると思うよ。(44~46頁)

『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』を読んで、
尾畠春夫さんの生き方に学ぶことが多すぎて、
今さらながら己のいたらなさ、だらしなさ、ふがいなさに気づかされた。
今からでも遅くないと、
尾畠春夫さんから教わったことをこれから日々実践していきたいと思っている。
※尾畠春夫さんが62歳のときの映像↓


※尾畠春夫さんが66歳で徒歩日本縦断したときの映像↓


この記事についてブログを書く
« 作礼山 ……ナメラダイモンジ... | トップ | 近くの里山 ……幻想的な森の... »