スーパー!
2010年/アメリカ
狂信者と‘行間’について
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
「最近の‘ヒーローもの’の作品はよりリアルなヒーロー像を描こうとすればするほど、それまで理想としていたヒーロー像から遠ざかりつつあるように見える。」と、私は『キック・アス』(マシュー・ヴォーン監督 2010年)のレビューで書いたばかりなのであるが、どうやら‘遠ざかりつつある’というよりも‘リアルなヒーロー’とは究極の‘悪者’であることが『スーパー!』を観て理解できた。
作品の冒頭は主人公のフランク・ダルボが、今までの自分の人生で起こった、サラとの結婚と、泥棒を捕まえることに警察に貢献したという2つだけある良い想い出を描いて壁に貼ってある絵を見ているところから始まる。
リビーに誘惑されても、フランクは妻以外と性交渉はしなほど厳格なキリスト教信者であり、テレビもクリスチャンのために制作されている番組しか見ない。フランクは「ホーリー・アヴェンジャー(聖なる復讐者)」という番組を見て感化されて、自分自身も‘クリムゾンボルト’と名乗って‘正義の鉄拳’を振いだす。
正義の名の元に振われるクリムゾンボルトの暴力は相手を容赦することがなく、列に割り込んだだけの男に対しても半殺しの目にあわせる。しかし信心深いフランクとは違い、ただの‘ヒーローオタク’でしかない相棒のボルティーがテンションが上がってしまい、相手を殺しそうになるのを目の当たりにした時、そしてラストでジョックたちからサラを奪い返そうとした時にボルティーを撃ち殺された時に、ようやくフランクは自分自身が置かれている立場を理解できた有様である。
せっかく奪い返したものの、サラはその後フランクの元を去って、別の男性と再婚してしまうのだが、一人になったフランクは新たな良い想い出を描き、それらの絵は壁を覆い尽くすほどになり、フランクは一人で悦に浸っている。
ところでこの作品に‘マンガ’の描写が加えられていることは決して奇を衒ったものではない。マンガのコマのことを‘パネル(panel)’と言うのであるが、この作品で重要な要素となっていることは‘行間(between the panels)’である。結局、フランクは良い想い出の絵で覆われた壁を見て自分の人生に満足することになるのであるが、問題なのは絵に描かれなかった‘行間’なのである。正義の名の元で行われたことではあっても暴力や殺人など酷いことは‘コマ’には決して描かれることはなく、自分の都合の良いことしか想い出にはならないことが‘ヒーロー’の問題なのであり、だからこの作品は「ヒーロー!」ではなく「スーパー!(=過剰!)」の方がタイトルになっているのである。いみじくもリビーの友人が言っていたように「人は自分の都合の良いように物事を解釈してしまう」のだ。
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実は8月31日に亀田興毅の試合があることをすっかり忘れていて、たまたまテレビを
つけたら丁度ファイナルラウンドが始まるところだったから、そのまま見たのであるが、
ファイナルラウンドであれほど手数が少ないチャンピオンも珍しいのではないだろうか
完全に挑戦者をノックアウトすることを諦めて、判定に頼ろうとするその戦いぶりは
誰が見ても明らかで、試合前の“リップサービス”とは対照的な貧相なパフォーマンスは
WBCミニマム級王者の井岡一翔の「亀田選手については何とも言えない」というコメント
通りで、記録には残るが記憶には全く残らないものだったのである。間違いなく「0点」の
今回の試合に亀田本人は「30点くらい」と語っているところが相変わらず甘過ぎる。