MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

ヴァロットンの「冷たさ」

2014-08-07 00:28:23 | 美術

 現在、三菱一号館美術館において「ヴァロットン 冷たい炎の画家」展が催されている。

クロード・モネが描く「顔」については既に言及した通りで、フェリックス・ヴァロットンが

描く「顔」についても論じておきたい。ヴァロットンは一応「ナビ派」に分類される画家で

あるが、『20歳の自画像(Autoportrait à l'âge de vingt ans )』(1885年)を観ても

分かるように、絵は下手ではない。描写に関する素養が十分なはずのヴァロットンは

不思議なことにやがて人物の顔を描くことを控えるようになる。

 例えば、上の作品は『猫と裸婦(Femmes nues aux chats)』(1897-99年)であるが、

自画像やエミール・ゾラなどの固有名を持つ人物を除いて、ヴァロットンが描く人物の顔は

簡略化されて描かれたり後ろ向きにされて描かれなかったりする。

 あるいは『ボール(Le Ballon)』(1899年)にしても手前にいる少女の顔は俯瞰という

ことで描かれず、2人の女性たちは遠すぎて描かれておらず、この徹底した顔や表情の

「無視」がヴァロットン作品の「冷たさ」につながっていると思うのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする