現在、三菱一号館美術館において「ヴァロットン 冷たい炎の画家」展が催されている。
クロード・モネが描く「顔」については既に言及した通りで、フェリックス・ヴァロットンが
描く「顔」についても論じておきたい。ヴァロットンは一応「ナビ派」に分類される画家で
あるが、『20歳の自画像(Autoportrait à l'âge de vingt ans )』(1885年)を観ても
分かるように、絵は下手ではない。描写に関する素養が十分なはずのヴァロットンは
不思議なことにやがて人物の顔を描くことを控えるようになる。
例えば、上の作品は『猫と裸婦(Femmes nues aux chats)』(1897-99年)であるが、
自画像やエミール・ゾラなどの固有名を持つ人物を除いて、ヴァロットンが描く人物の顔は
簡略化されて描かれたり後ろ向きにされて描かれなかったりする。
あるいは『ボール(Le Ballon)』(1899年)にしても手前にいる少女の顔は俯瞰という
ことで描かれず、2人の女性たちは遠すぎて描かれておらず、この徹底した顔や表情の
「無視」がヴァロットン作品の「冷たさ」につながっていると思うのである。