原題:『Bob Marley: One Love』 監督:レイナルド・マーカス・グリーン 脚本:レイナルド・マーカス・グリーン/テレンス・ウィンター/ザック・ベイリン/フランク・E・フラワーズ 撮影:ロバート・エルスウィット 出演:キングズリー・ベン=アディル/ラシャーナ・リンチ/ジェームズ・ノートン/トシン・コール/マイケル・ガンドルフィー二 2024年/アメリカ
音楽や政治よりも宗教に重点を置いた伝記映画について
ボブ・マーリーの曲が生まれた背景を知るには良く出来た作品だと思うが、ボブ・マーリーが嵌った「ラスタファリ運動(astafari movement)」という教義が中心に描かれ、ボブが読んでいる本はその創始者とされているマーカス・ガーベイ(Marcus Garvey)の著書なのだが、例えばボブ・マーリーの曲を世界的にメジャーにすることに貢献したエリック・クラプトンもミック・ジャガーも出てこないし、1978年4月にジャマイカのキングストンのインディペンデンス・パークで催された「The One Love Peace Concert」における二大政党のトップの仲介も記録映像で処理されていたのは残念だったが、それだけボブ・マーリーの人生は波乱万丈だったとも言えるし、「布教」が隠れテーマなのかもしれない。
1968年のシカゴに住む主婦のジョイは妊娠したものの、自身の心臓病のために出産は不可能だと分かるのだが、当時いかなる理由でも中絶は違法だったために、ジョイは違法ながらも中絶を手助けしてくれる女性組織「ジェーン(The Jane Collective)」に電話をして中絶し、それをきっかけに夫のウィルや娘たちや友人のラナに内緒でジョイも組織を手伝うことになる。 しかし驚くべきことは執刀医が医科大学を通っていたようなのだが医師の免許を持っていないディーンが医療行為をしていたことのみならず、その事実をバラさないことと引き換えにジョイがディーンに教えてもらって実際に執刀することになるという展開である。環境の悪い粗末な部屋で「素人」が中絶手術をしなければならないところまで追い詰められていた女性たちがそもそも何故妊娠をしてしまうのかもっと男性は熟慮するべきだったのである。 とにかく選曲が素晴らしいのだが、ここではジャニス・イアンの「スウィート・ミゼリー(甘い窮状)」を和訳してみる。
本作の問題提起は「スキャンダル」とSNSとの相性だと思う。例えば、主人公の森下沙織里は6歳の娘の美羽を弟の圭吾にあずけて好きなアイドルのライブに行っていた2021年10月に美羽が行方不明になってしまい、ネット上で育児放棄などと誹謗中傷を受けることになってしまう。静岡テレビの砂田が中心となってニュース番組などで情報を求めるものの2022年3月になっても美羽の行方は分からないどころか、美羽が見つかったというようなイタズラ電話で夫の豊と共に夫婦は蒲郡まで遠出をしたり警察署に向かったりと翻弄させられる有様である。そしてどれほど誠実に取材をしようとも成果を挙げられなければ砂田の仕事は評価されないのである。 砂田と対照的なのが、地元の市長の隠し子のスキャンダルを手に入れた砂田の後輩の駒井である。砂田と違って駒井の場合は市長が叩かれるためにSNSは駒井に味方するため、駒井は大きな成果を挙げてキー局へ栄転することになるのである。 しかし例えSNSが無かったとしても「情報」というものは取っ散らかりがちで、例えば、覗き見の誤解を受けた弟の土居圭吾を警察署まで迎えに行った沙織里が車で一緒に帰っている途中でラジオから沙織里の好きなアイドルの曲が流れてきたりするものなのである。 それにしても気になるのが沙織里が来ているTシャツの文字で、最初は「Everything will be fine.(全てはどうにかなる)」というものだったが、途中から「Let It Be Better With A Feeling.(感情のなすがままに)」に変わっているのはもちろん監督の意図が反映されていると思う。 gooニュース https://news.goo.ne.jp/article/tokyosports/entertainment/tokyosports-303091