71年前の今日、福山の市街地は米軍機の爆撃を受けて丸焼けとなった。焼夷弾が落ちる中、幼子を連れて命からがら蓮池川の畔まで逃げたという話を祖母から聞いたのは中学生の頃だったと思う。彼女達は蔀山(しとみやま)の辺りまで移動して川に入って夜を明かした(明治生まれの祖父は借家に一人残って屋根に突き刺さった不発弾を掴んでは下の小川に放り投げていた)。川の中から福山城が焼け落ちるのを見て惚けたように笑っていたという祖母は普段から口が悪かったが、人を見る目だけは確かだった。敗戦後にパンツをはき違えたジンケンゴロに対しても容赦はなかったのを思い出す。その反骨精神は孫の私がしっかり引き継いでいる(笑)
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