トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

こんな季節

2011-10-10 | 感じるままの回り道

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 こんな季節になってしまった。林道を歩くとセミの亡骸が目立つ。どういう訳か、その殆どがアブラゼミなのである。クマゼミやミンミンゼミやツクツクボウシなどは殆ど見出すことが出来ない。これは不思議だ。

 セミは美味しくないのか、蟻が群れている場面にも遭遇しない。カブトムシなどは頭部だけ見る事が多いのだけれど、セミはそっくり転がっている。

 まだ紅葉や落葉には早いのだが、桜は葉を落とし始めた。桜の枯葉やドングリと一緒に転がっているセミを見ていると、秋を感じないわけにはいかない。アメリカ民謡「老犬トレイ」の一節は「この世の朝早も過ぎて、たそがれる頃となれば・・・」と歌うが、まさしく秋はたそがれる季節だ。

 フイールドにいると「馬肥ゆる秋」でも「読書の秋」でも「食欲の秋」でもない。来るべき冬に備えて、もの皆あわただしく店じまいしていく。積雪の無い当地では、冬の厳しさも春到来の歓喜もおぼつかないが、秋のたそがれ感だけは味わえるのだ。


*栗名月

2011-10-10 | 感じるままの回り道

           名月に動かぬ足で窓に立つ

           深夜便聞きし見つめる月こうこう

           名月の光あびたく腕枕

           名月も雲に囚われ迷い月

           はくしょんと月を眺めてもう一度

           名月と比べた頭だれも見ぬ


タマアジサイ

2011-10-10 | 小父のお隣さん

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 「この時期に!」と言いたくなるようにタマアジサイは花を見せている。元々が日陰の花だし、花期が長いのは承知だけれど、10月になっても開花を続けているなんて酔狂としか言いようが無い。

 それでも日陰で暗い部分に大振りの花を見せているのは嫌ではないが、「季節が違うよ」と思ってしまう花でもある。樹下にはホトトギスやミズヒキソウが花を出してきているから、そろそろお暇して欲しいが、なかなかしぶといのだ。

 夏の頃の様に小昆虫が群れている訳でもなく、ひっそりとしてしまったタマアジサイであるが、その訪問者だった殆どは日向の暖かい場所の花に行ったのだ。そんな虫たちの行動に何も出来ないで過ぎ去った夏を思うこの頃だ。「断腸の思い?」いえいえ「断腱の思い!」です。