こんな季節になってしまった。林道を歩くとセミの亡骸が目立つ。どういう訳か、その殆どがアブラゼミなのである。クマゼミやミンミンゼミやツクツクボウシなどは殆ど見出すことが出来ない。これは不思議だ。
セミは美味しくないのか、蟻が群れている場面にも遭遇しない。カブトムシなどは頭部だけ見る事が多いのだけれど、セミはそっくり転がっている。
まだ紅葉や落葉には早いのだが、桜は葉を落とし始めた。桜の枯葉やドングリと一緒に転がっているセミを見ていると、秋を感じないわけにはいかない。アメリカ民謡「老犬トレイ」の一節は「この世の朝早も過ぎて、たそがれる頃となれば・・・」と歌うが、まさしく秋はたそがれる季節だ。
フイールドにいると「馬肥ゆる秋」でも「読書の秋」でも「食欲の秋」でもない。来るべき冬に備えて、もの皆あわただしく店じまいしていく。積雪の無い当地では、冬の厳しさも春到来の歓喜もおぼつかないが、秋のたそがれ感だけは味わえるのだ。