澄んだ川助け呼ぶ声今もなお内耳に深し秋の夕浪
すみだ川舟よぶ声もうづもれて浮霧ふかし秋の夕浪 泊洦舎集
浪に落ち浪と消えにしあまた身に津波のことは夢の正夢
霧と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢 賀茂翁家集
澄んだ川助け呼ぶ声今もなお内耳に深し秋の夕浪
すみだ川舟よぶ声もうづもれて浮霧ふかし秋の夕浪 泊洦舎集
浪に落ち浪と消えにしあまた身に津波のことは夢の正夢
霧と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢 賀茂翁家集
林道脇の林縁には多様な植物が見られる。最近は「綺麗にしましょう!」の掛け声で刈り払われてしまうので、一時期より多彩な様子は無くなったが、それでも久しぶりの訪問である小生には心休まる環境なのだ。だけど林縁の重要性を無視する輩には打つ手がない。聞く耳もないのである。「綺麗にする」事を信じて疑わない、それ自体が目標みたいだ。
ベッドで夏眠している間に風景はすっきりと秋に変わった。聞こえてくる音もアオジの地鳴きとコオロギの音だけだ。林道脇の土砂や落葉の吹き溜まりには猪の掘り返した跡が続いている。不思議なのは再生した棚田の稲穂が被害を受けていない。昨年までは収穫すら出来なかったのに今年は見事に頭を垂れている。
それはともかく、林道の秋咲きの蕾は食害の痕跡が多く見られた。ホトトギスもツルニンジンも、蕾や花の大きな物はどうしても目立ってくる。ツルニンジンの大きな株は今春に盗掘されてしまったから、今期は無理だろうと思っていたが、何株か花が着いていた。安心したけど株そのものが小さいので花も勢いがない。それに食害が加わって痛ましい姿だった。
虫だって朝鮮人参程度の薬効のある植物の花は食べてみたいのか、食用花として賞味したのか知る由もないけれど、見ていたら郷里の定番「食用菊」の酢の物を無性に食べたくなった。アケビの新芽もそうだったが、丼で食べれた頃が懐かしい。
三ヶ月ぶりに拠点台地の道具小屋まで上った。平坦地はともかく、斜面ではまだ左脚荷重で右足を上げたり下げたりは無理である。膝に屈伸力がないのだ。
植物の成長著しい時期の三ヶ月を留守にしたから植栽して5年目になるクヌギやコナラの成長振りにはビックリするばかりだった。ぐんと大きく育って「若木」と言える姿である。
ところが楽しみにしていて今年は鑑賞が出来なかったヤマハギの大樹がポッキリと折れているではないか。台風十五号の被害である。既に折れた上部は枯れ始めている。杉やヒノキの直径30cmを越えるものが倒れても惜しいと思わないけど、これはがっかりだ。
その上、これも周囲の中では抜きん出て大きかったガマズミも倒れてしまった。折れてはいないから復活するかもしれないが、支えを立てる作業は小生に出来ないコブの上なのだ。大切にしてきた樹の被害はまだあるのだろう。奥に入れなくて良かったのか悪かったのか…。動けない身で心配しても始まらない。