7月も中頃だと言うのにモリアオガエルの産卵があった。それは樹上では無く林接する池の御柱様の祠、いいえ洞の中にである。これでは孵化しても水中に落ちる事が出来ない。「全くもう!」と思いつつ、少しは楽しんで卵塊を移動させた。もう枝や樹皮に付着させる事は叶わず、水辺に適当な植物も無い設えたばかりの池である。
「仕方がないからお返事書いた。さっきの手紙のご用はなーに」、これでは童謡になって動揺してしまうが「仕方が無いからおタモに入れた」のだ。これで水面に落ちてくれるだろうが心配の種もある。既にアカハライモリが生息している。まあ、そこまで心配しても始まらない。全ては自然界の理に任せるしかないのだ。
それでもタモ網に入れてしまうのは「お節介」だからである。まあ、つらつら考えてみるに姥捨て山で独り、トンボやカエルしか相手の居ない身ではこのお節介こそに身の置き所があるし社会性が保たれている。
いくら無駄骨徒労と思えど「役に立った」と妄想するだけで寂しい血潮でも躍動するのだ。それが大事だ高齢者・・・。
洞に産卵 ➡
タモ網の中で吊るす
「仕方がないからお返事書いた。さっきの手紙のご用はなーに」、これでは童謡になって動揺してしまうが「仕方が無いからおタモに入れた」のだ。これで水面に落ちてくれるだろうが心配の種もある。既にアカハライモリが生息している。まあ、そこまで心配しても始まらない。全ては自然界の理に任せるしかないのだ。
それでもタモ網に入れてしまうのは「お節介」だからである。まあ、つらつら考えてみるに姥捨て山で独り、トンボやカエルしか相手の居ない身ではこのお節介こそに身の置き所があるし社会性が保たれている。
いくら無駄骨徒労と思えど「役に立った」と妄想するだけで寂しい血潮でも躍動するのだ。それが大事だ高齢者・・・。
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