トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のとんぼ「マルタンヤンマの産卵」

2019-07-20 | 小父のお隣さん
 隣接グループの定例会。5月から姿を見ない池の主M氏の様子を聞きに行った。思っていた通りの事態で健康を害しているという程でもないけれど、家族から「外出足止め」を言い渡されてバイクも禁止なのだとか。80代後半に入った年齢では無理からぬ面もあろうとメンバーも納得顔だった。
 となると水辺の戦力は小生独りになってしまった。独りでは1馬力とは言えず1/4馬力程度の絞り水の勢いしかない。

 そんなことで水見回りする気にもならず泥水池2を見やっていたら茶色く見えるトンボがいる。水面に出ているミゾハギやチゴザサの周辺から離れない。これは産卵体勢でしかないと動かずに待っていたら産卵を開始した。
 写そうにもケータイしかなく、とりあえず記録したものの描写は劣る。ラッキー!に賭けて車までデジカメを取りに戻った。

 デジカメを構え到着した時も産卵していたから数枚写したのだが2m以上の距離を詰められず結局は不明瞭な写真で使えるレベルでは無い。
 それでも翅や腹部の茶系の色合いは感じられるので「マルタンヤンマ」で間違いないだろう。生きた植物の体内に産卵するとなると、林接する池にはその環境が無い。なにか導入を考えなければならなくなった。

                  


刈り払いに依る環境破壊

2019-07-20 | 感じるままの回り道
 時折、カメラを持って植物観察に来る同年輩の方がいる。普段は挨拶程度だがこの日は棚田の泥浚い中に堤の植物に寄って連れのおっさんと見入っていた。それはショウマの株であったのだが話しかけてみて「ショウマでは無い」のが分かった。チダケサシという同じ科と言うか同じ属とでも言うのか近縁種だったのであった。小生は「ショウマ」とばかり思っていたが鑑別なんて行わない「見た目」で名前を決める結果でもある。名前を教えられ由縁まで教えてもらった。まあ「好きこそものの上手なれ」か。小生は「下手の横好き」までもいかない、そもそもが「一作業員」なのだ。

 その話の中で「刈り残したのですね」と始まり刈り払いの話になった。言うに「昔は農協に委託され地域のおばさん達が雇われ手刈りで刈った」ので「ここに何があるから、そこにあれがあるから」と承知で選択的刈り払いをし、在来の環境植物が残されてきたと言う。
 それが刈り払い機の登場から業者一任の乗用型刈り払い機に依る「全草刈り払い」になって貴重植物もろとも丸刈りになってしまったと嘆くのであった。これは小生もよーく分かる。

 話の場所は国交省管理下の一級河川の土手だ。この土手の松の並木、浮世絵にも登場する歴史ものらしいのだが「整枝選定」の名のもとにトーテムポール」にされてしまったいわくつきの土手なのだ。園芸業者でなく建設業者に委託すればそうなるのは当たり前である。
 何回か書いた事がある持ち回りで県主催の「植樹祭」。小生等も駆りだされ植樹したが7月には刈り払われ綺麗な原っぱになっていた。その後は行っていない。

 里山保全活動をするグループやメンバーでさえ「保全」を考えて作業が出来るメンバーばかり揃う訳でもなく参加の動機は多様だから理解度も認識も多様性がある。ご近所の「環境教育NPO」様の活動も御多分に漏れず「そこのけそこのけ大義が通る」で環境破壊まかり通るのである。

 「刈り払い」の認識は「丸坊主」であって「綺麗にした」が完成形なのだ。ほとんどは「保全」の内容など学びはしないし「選択的刈り払い」などとして見た目の悪さを好まない。次のシーズンには伝えられた事すら忘れられている。だからこそ小生としては主要部の刈り払いは先だって済ましてしまう事を重視してきたのだが如何にせん、今期は水辺の手当てに振り回され7月中盤、未だに刈り払いに入れない。あちこち丸坊主になって行くのが恨めしい。
 植生も自然復元を待つだけでなく環境植生として移植や採り蒔きもし「仕掛け」も導入しているから全草刈り払いでは破壊行為に近くなる。残したい植物などはランダムに存在しているし動体視力や鑑識眼、そもそも「里山保全」としての里山が見えていなければ判断中枢には届かない。

 隣接するグループの7月定例会が近づいた。きっと「綺麗にしましょう」の合言葉の元、林縁林床の植生ツルニンジン、トラノオ、ハンショウヅル、ナルコユリ等々、ホントにお約束のごとく綺麗さっぱりとなってしまうのは間違いない。
 小生等も保全の一方で破壊に寄与しているのも間違いのない事実だろう。「それでも地球は回っている」し梅雨空が憂鬱の種では無く「綺麗なにった」事が憂鬱なのである。
 まあ、こんな事、小生だけの憂梅雨なのだ・・・。