
縫い難いのは甚だでもすでに縫い付けてある部分だし、でもストレートにミシン目を入れてしまうと表地と裏地で皺が出来る可能性がある。そこでスレが酷くおっつけ破れかねない部分を主に大雑把にしつけを施した。縦に4筋の縫い目を通して、この縫い目に沿ってジグザク縫いをしたのだ。これで安心して縫い取れる。
やってみれば多少の手間をかけても施した結果は出て、布地のずれは気にしなくて済んだからやり難いミシン掛けもストレスなく出来たのだった。所要時間はもう少しかかるかと思ったもののテレサテンのCD2回目の途中で作業終了となって、まあ時間つぶしも楽ではないと言うのが感想だ。どっちにしろお爺でなくても繕い物をするなどは今風でないのは認識している小生だが、雅な生まれで育ちだから争えないのであった。
音楽に話を戻せば老化現象なのか時流に乗れないのか恐らく両方の要因があるのだろうけれど、最近の流行りは聴く気にもならない。聞いても分からないだけでなく同じ歌にしか響かず耳に心地よさなど全く感じないのである。この感覚はセミやカエルの合唱、道路の落ち葉などを不快に思う感覚と同一なのかもしれない。
流行りの歌や音楽より三橋美智也や美空ひばりなどを聴きたくなるのは高齢者の単なる郷愁や懐古趣味と判断は出来るだろうが、今時の歌や音楽の熱心な若い層の老後には同じように思えるのだろうか、音楽性よりそっちを知りたい。
昔読んだ小説の中に弟子を育てるのに本物を観させ続けさせた骨董屋の話があった。それで真贋・目利きが育つような意味だったと思うが、人気や流行りものオンリーに囲まれた中で普遍性のある真贋が養えるのかどうか小生は否定的である。こういう見解が「今時の若い者は・・・」に通じるんだろうか…。
まあ、幾多の国では若いもんに限らず「何で・・・」と思う行動や選択で暴走中も多いのは、それの下地が同じなのだろう。いわゆる「愚弄張る」という風潮。