トンボ池の水面に一見、アマモに似た植物が増えてきた。初夏になればイネ科植物と判るのだが冬の間はとてもそうは思えない。久しぶりに降雨があって、たかだか10mm程度の降水量だったけれど地拵え作業地は濡れていて危ない。風もなく暖かい日寄りで絶好の作業日和なのだがスリップ転倒事故を避けるために水域の除草に変更した。
降雨の前は氷盤が張っていたトンボ池なのにすっかり溶けて、日差しを浴び立って眺めている限りでは春の陽気に感じる、。しかし水温は一桁台だし手抜き除草では冷たくて気が進まない。結局は横着し4本鍬で根塊ごと掻きとる手段を選んだものの、鍬の爪に掛からない株の方が多くて、とどのつまりは手抜きになった。
トンボ池の北端は例年ヒキガエルが産卵する環境で、そこの水温を少しでも上がる算段はしておかねばならない。水面を覆ってしまう植物体があると、どうしても池の水温は上がらないしプランクトンの発生も抑えられてしまう。そのための除草なので「水温む頃」なんて悠長な感覚では産卵場所を攪乱してしまいかねない。故に寒くても冷たくても寒の内の作業になる。
掘り上げた根塊と泥は水際に積み上げる。本来は傾斜をつけておきたいのだが、傾斜で水際線を設えておくとオタマジャクシ見たさに集団で集中し植生は破壊され裸地にされてしまう。これで幼体が上陸するルートの保護植生を失うのであった。
そこで岸壁のように高くしておけば良いだろうと思っても幼体上陸の障害になるし、どっちにしろ憂いは尽きない。
毎年のほんの一時期の事だけれど「植生保護し裸地にしないで!」と言うクレームはその時だけで持続はしないし広がらない。いきおいロープに頼ってしまうのだが嫌な気分でロープを張り水見回りの度に目にするのは気分が悪い事、この上ないのだ。
しかしそれは小生だけの個人内差であって、荒らしまわる環境破壊教育御一行様は「ほかに行けばよい」程度でしかない。そこにあって手軽だから「後は野となれ山となれ」とばかり入り込むだけなのである。結局、心証は「また煩い事を言う・・・」の澱だけ溜まる。
まあ、かくして「意地悪爺さん・小言幸兵衛」は定着し拡散するのであった。イチゴサッテモウシタモウシタ。
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降雨の前は氷盤が張っていたトンボ池なのにすっかり溶けて、日差しを浴び立って眺めている限りでは春の陽気に感じる、。しかし水温は一桁台だし手抜き除草では冷たくて気が進まない。結局は横着し4本鍬で根塊ごと掻きとる手段を選んだものの、鍬の爪に掛からない株の方が多くて、とどのつまりは手抜きになった。
トンボ池の北端は例年ヒキガエルが産卵する環境で、そこの水温を少しでも上がる算段はしておかねばならない。水面を覆ってしまう植物体があると、どうしても池の水温は上がらないしプランクトンの発生も抑えられてしまう。そのための除草なので「水温む頃」なんて悠長な感覚では産卵場所を攪乱してしまいかねない。故に寒くても冷たくても寒の内の作業になる。
掘り上げた根塊と泥は水際に積み上げる。本来は傾斜をつけておきたいのだが、傾斜で水際線を設えておくとオタマジャクシ見たさに集団で集中し植生は破壊され裸地にされてしまう。これで幼体が上陸するルートの保護植生を失うのであった。
そこで岸壁のように高くしておけば良いだろうと思っても幼体上陸の障害になるし、どっちにしろ憂いは尽きない。
毎年のほんの一時期の事だけれど「植生保護し裸地にしないで!」と言うクレームはその時だけで持続はしないし広がらない。いきおいロープに頼ってしまうのだが嫌な気分でロープを張り水見回りの度に目にするのは気分が悪い事、この上ないのだ。
しかしそれは小生だけの個人内差であって、荒らしまわる環境破壊教育御一行様は「ほかに行けばよい」程度でしかない。そこにあって手軽だから「後は野となれ山となれ」とばかり入り込むだけなのである。結局、心証は「また煩い事を言う・・・」の澱だけ溜まる。
まあ、かくして「意地悪爺さん・小言幸兵衛」は定着し拡散するのであった。イチゴサッテモウシタモウシタ。
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