トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

リスクの排除は我が身のリスク

2021-07-04 | 今日は真面目に
 前日に引き続き倒木の処理作業である。スギ2本を巻き込んで倒れ込んだヤマザクラの大木を処理しない限り傾斜木となり先端部が斜面下側のスギの先端に掛かり弓なりになってしまった危険状態の処理には手が届かないのである。ヤマザクラの大枝3本は丁度よろしく上下に並んで下側から処理するしかないのに、それをすると重量で落ち潰れかねない。ホント、他人のリスク軽減で我が身が真っ先にリスクの渦中に巻き込まれているのだった。
 こんな作業は「年寄りの冷や汗」で、ダチョウ俱楽部の「どうぞ、どうぞ」互譲の精神に同じくだーれもやりたがらない。本来は担当課から業者に委ねる事案だろう。

 当初はYさんを頼んで2人作業とするだけの作業量と観て声掛けしておいたものの、慣れない作業の先手が入ればさらにリスクが高まる。仕方が無いので大方は独りで処理する手筈としたのだった。それで前日初日は先端部の枝落しで高枝切りでゴシゴシバキンやることン十回、鋸が入るに従い枝の先端が下がるから鋸が絞められ動かなくなる。承知の上なのだが手も届かない足場も無い倒木落葉樹の上方では須田紋太は合点承知之助とコンビなのである。
 いいや、小生も噛んでいるので凸凹トリオだが、思い返してみれば下腹に力を込めて行わねばならない作業も多く、結果「両鼠径部ヘルニア」で手術したのが数年前で、まあ、「脱腸苦楽」はやはりトリオなのだった。

 「さーて、どう処理しようか…」と思案投げ首せざるを得なかったのがヤマザクラの二股がスギの幹に喰い込んでいる部分だ。あろうことか片側には二本の立ち木が杭のごとく「決めて」いる。この二重苦三重苦みたいな状況下ではチェーンソーを不用意に入れると思わぬ挙動で大事故になりかねない。「こうやればこうなる…」のシュミレーションだけでなく包括的把握が大事なのであった。
 張力や反力、貯められた歪みの応力開放等々、馬鹿にならない挙動の危険性を有している。だから作業の勘所は「いかに歪みを緩やかに開放させるか・・・」に腐心した。そのために歪みと言うか応力と言うべきか集中していると思われる範囲に切込みを並べ挙動を観察しつつ応力の開放を図る。これが何とかうまくいったことで一挙に作業は峠を越した感じがしたのだった。
 この二股部の刺股状態を解消したことで、もう片方の「決め」に遭った幹を切断出来て一挙に寸切りに入れて重量削減と嵩を減らす作業が楽になったのだ。
 応力集中部に切込み ➡   片側切り離し ➡   残りも切断、拘束が解消
出来た
 「決め」られた部分を開放出来たので片持ち状態に近い倒木のモーメントを減ずるための玉切りが可能になった。しかし片持ち切断なのでチェーンソーで切り込めばおっつけ自重で落下する。地面に平行のままの落下は在り得ず、耐え切れなくなった外周、首の皮1枚を軸として先端部を振って落下するから自身の下半身の防御に注意が必要だ。まあ、とにもかくにもチェーンソーが届く範囲は伐り落とすことが出来た。上方の1本は頭上になりチェーンソー作業は禁忌で、これの未処理はやむを得ない。
                  ➡    片持ち重量を減ずる

 これらの作業を経てようやく傾斜木の全体が現れた。傾斜させられた原因の排除は出来たものの一番危ない掛かり木となっており林道上に鞭を振るうがごとく落下する可能性のあるスギなのだ。既に昼時間で、この処理には牽引器が必要なので作業は翌日回しとする。万が一を考慮し林道上には倒されたスギを玉切りしたので通せんぼしコーンを立てて終了さた。

 この日はかの環境破壊教育の活動日で折り悪く危険個所の林道を通るメニューだった。かかわりたくも無いのだが事はママとおチビちゃんに及びかねない。堪忍袋の緒を結びなおして「危険のため通行回避」を伝えた。結果としてメニュー変更が当然あって、その後に事務局から担当が現場撮影に来て「有難うございます」なんて言ったのだが、小生としては「お宅らのために作業している訳でない。礼を言われる筋は無い!」と至極当たり前の対応。
 小生の「ご立腹、膏肓に入る」で、もう治らない予感。つまりは「帝国、戦闘状態に突入せり!」なのである。止まなかった破壊行為を棚上げし「こ五月蝿い連中」と誹謗中傷を関係ないところで公言拡散するなどは宣戦布告されたも同じ、これはもう「覆水盆に返らず」で腹の虫さえ収まらない。

 とにもかくにも近頃稀に見る大きな危険をはらんだ処理作業が八割方片付いたのは祝着至極、有難い事に尽きる。しかしまだ掛かり木の牽引伐倒作業が残っている。気を引き締めなければいけないのだけれど久しぶりに達成感と心地よい疲労感があって、この日の午後は午睡確定だったが、あれこれ書いて長話、大方の年寄りは長話・繰り言になる。反省!。